ピエロのナイフ
ホロウ・シカエルボク


擦過傷に滲む薄い血のような光が時折目の端にチラついていた、少し水分を取るべきなのかもしれないと思ったがまだそうしたくなかった、日曜の午後は果てしない熱と退屈の中で軟体生物のようにのたのたと過ぎ去ろうとしている、理やしきたりに従って生きるしか能の無い連中が年に一度の祭りで羽目を外している、こんなシステムを作り上げたやつにはまったく頭が下がる、いまやこの祭りに参加するためだけにこの街に越してくる人間まで出て来る始末、表現欲など微塵もない素人の歌と演奏が街を振動させ続けている、やってるやつらが楽しいだけ、それはこの街のアイデンティティを克明に反映している、ジョン・ゾーンを聴きながら新しい詩のことを考える、イメージはぼんやりとうろついてはいたがまだゴーサインは出なかった、インスタントのカフェオレを飲みながらパズルゲームをしていると知らない間に一時間も経っていた、いまどきは時間さえインチキをするのかもしれない、俺が見ていない間に駆け足で進んだりしているのだ、俺はタブレットを放り出しワードを立ち上げる、やることが無いのなら書いてみたほうがいい、書きたいから書く、という感覚を信用しなくなった、それはただの自己満足だ、書きたくなくとも書ける方が結果を出せる分ずっといい、俺が決めていることはひとつだけ、週末の休みにひとつは書く、ということだけだ、そうすれば感情に左右されることはない、書いている人間がどれだけ必死でも読んでる人間には関係のないことだ、酔っ払いの戯言のようにだらだらと言葉を並べてみたって好きだというやつは居る、要するに、食事のようなものだ、腹が減ったら食う、それぐらいのところまでモチベーションをナチュラルなところにおいてやればいい、それは義務でも権利でもない、特別声高に叫ぶようなこだわりでもない、ただある日そうした方がいいと思っただけのことだ、そう決めてやれば身体は勝手にそこに向かって調整をするようになる、リズムに迷うことが無いというのは重要なことだ、どんな思想を持っていてもリズムが無ければそれは上手く生まれてくることが出来ない、人間というのはリズムを含んでいる生きものだ、それは日常的に鼓動を聞いているせいだろう、リズムによって思考は整理されていくのだ、そしてそれがあまりにも込み入ったものになってくると人間は詩を書こうとする、未整理のまま吐き出すことによりそれは整理される、詩人たちは自分を知るために詩を書く、詩を書き、それがディスプレイに映し出されるのを見て、キーボートが立てる小さな音を聞いて、自分のリズムを知る、たったひとりで作り出すグルーブ、それが詩作だ、リズムと言葉の旋律は脳神経をトランス状態に連れて行く、俺は半ば呆けながら指先が次の言葉を描き出すのを最初の読者として眺めている、リアルタイムの自分をそこに刻み込むこと、それが俺がひたすら書き続けている理由だ、詩を綴る瞬間のすべてを残しておきたい、俺はそう望みながら詩を書いている、気温の高さも、外界の喧騒もいつの間にか気にならなくなっている、そうさ、俺は混沌でありたい、自己の混沌を、詩を書き綴ることによって育て続けたいんだ、一流家具店のインテリアみたいな言葉なんか並べたくないのさ、それは習えば誰にだって出来ることだから、俺は混沌を育て続けている、混沌とか、自己矛盾とか、そういうものをさ、後生大事に育て続けてきたんだよ、始め俺はそこから逃れようとしていたんだ、でもそんな行為にはどこか違和感が付き纏った、なぜクリアーに整理されなければならないのか?俺はその奇妙な義務感に民衆という嘘を感じたのさ、俺の狂気は俺を生かしている、そのことが長いことわからなかったんだ、俺はひとりしか居ない、なにがまともで、なにが狂っているかなんてそこではどうだっていいことだ、比較対象が必要な話じゃない、そいつをどう受け止めるか、それは大事なことだぜ、ひとつ間違えれば周囲に迎合して生きるだけの馬鹿になっちまう、貰った尺度は捨てることだ、自分が生きていくためになにが必要なのか、自分で見極めて選択することがなにより大事なのさ、俺は混沌を捨てたくないものがなにかを書いたり、歌や芝居で声を張り上げたり、沢山の色を使って絵を描くのだと思う、そしてそういうものこそが本当に、窮屈な真実に支配されている人間たちの心を動かすのだと思う、誰がそれをどう思うかなんてどうだっていいよ、俺が人生を通して感じてきたことはそれだし、俺はそれが自分のやるべきことだと思う、俺は目の前に居る君とは違うし、その辺をうろついている連中ともまるで違う、それは俺が詩を書き続けているからなんだ、詩を書き、自分だけの言葉を知り続けてきたからだ、祭りが終わり、街路は急に静まり返った、いつのまにかこんなに時間が経っていたんだ、俺は身体を伸ばす、目の前には出来上がったばかりの詩がある、それでどうにか今週も道化を続けることが出来るだろう。



自由詩 ピエロのナイフ Copyright ホロウ・シカエルボク 2024-08-11 21:41:05
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