とある詩人さんに捧ぐ
秋葉竹
これは、技術、なのだろうか?
だとすれば、相当ヤバいことになるのかな。
なんか、若い頃に連綿と書き連ねていた
日記のところどころをランダムに抜粋して
一編の詩として表現しているというのなら、
まだしも。
これが、技術、だとしたら
この詩人さんは
心にまとわりつきすぎだし
なんか
からだにまでまとわりつくほどの
言葉を羅列する表現者じゃないのか?
正直、久しぶりに驚いた。
冒頭書いた、ヤバいこと、というのは
私なんかが
もうこれ以上、詩を書く意味なんて
なくなってる、みたいに想えるから
いや、それはあくまで比喩であって
私は、書きますけどね
だって、沸々と燃えたぎるこの
ダイヤモンドさえ燃やし尽くすほどの
(あー、なんて陳腐な比喩なんだろう)
鎮火不可能な
詩でも書かなきゃ、やってらんねーぜ
って、
ケッ!
って
地面をみながらうそぶくほどの
汲めど尽きない溢れる《呪い》がある限り。
こ、怖い、って。
ここは、《想い》の方がいいと想うゾ。
たまーに、ある
いい詩を読ませていただいたときにやる、
もう、書くの、やめたくなって来た
から始まる、それでも書くぜ、宣言。
ま、それをしたかっただけの
話なんですがね。