記憶と忘却
番田
こうして生きていることで、眠くなる日々を感じている。雨が降っていたけれど、止んでいた。窓の向こうからは、今は、子供の声はしなかった。僕も子供の頃は、あんな風に大声を出しては、こんな風に大人になってしまった僕に迷惑をかけていたことだろう。飲んでいたコーラのグラスも、今は空っぽ、スマホは遠くの国の大統領のニュースを時々伝える。着ていた服を脱いでも、何も体感温度の変わらないような木造のアパートの、サウナのような部屋だった。僕は自分自身であるという感覚すらもないのだ。久しぶりに靴を出して磨くと、少し長持ちするような気がしたが、どうだろう。サッカーをやっていた時に靴ズミをつけていると長持ちしたことを覚えている。扇風機がそろそろ必要な季節がやってくると、窓を開けたところで風の入ることのない日々を思い出させられながら、考えた。僕は、何をしていても僕自身なのだと思いたかった。でも、そんなことは、何をしていても感じられない。顔を上げてみても、下げているように僕は心の中では思える気がする。どこかの国の大統領の言葉は、今でも国民の心に残されているのだろうか。肉体は無くなっても、人々の記憶には残されていることだろう。いやそれとも、なくなってしまったのだろうか。僕はもうサッカーをやりたいとは思わないけれど、一体あれからどのくらいの時間を僕は生きてきたのかと思う、アルバムも、もう捨ててしまったから。