灯りがついて、霊が消えて、灯りをおとすと、レイが現れる
菊西 夕座

――詩的であるということは存在をやわらげること。

いまそこに、照明とわかれたレイがいた
「おレイをいわなければならないね」
そのレイではないが、失レイしたらしい
「まちがったレイをしたなら正しいレイとは」
正しいレイとはすなわち幽レイのことである
「幽レイとはレイのあのすりぬけるやつか」
すりぬけるやつであるがレイのレイではない
「レイのレイではないレイとはどんなレイか」
レイのレイと、あのレイにつかうレイではない
「あのレイにつかえないレイとはどのレイか」
どのレイかとあえていうならば幽霊である
「幽レイとはレイのあのすりぬけるやつか」
確かにすりぬけるやつだがアノレイではない
「アノレイでないならば例えばどんなレイか」
例えばというレイをあげたらただのレイになる
「ただの例もレイにはちがいなからレイでよいかと」
例もレイにはちがいないが霊とは意味がちがう
「しかし仮に霊がバけるならば例はレイか」
レイは例には違いないが霊かはわからない
「つまり霊が仮にバけている可能性もあるということか」
カリに霊がバけていてもヒカリは仮ではない
「とはいえ例が霊を指していることはありえる」
例が霊を指しても仮に灯りをつければ消える
「しかし今となっては消えたのは例のやつさ」
消えたのは例のやつでも憑いたのは霊のやつさ
「実際は霊のやつでも消えたのは例のやつさ」
その例のやつをすりぬけて霊は存在する
「そのすりぬけたやつを捕らえて例は存在する」
だが決して、霊と例が同じだと証明はできない
「消っしてしまったら照明もショウメイできない」
ケッシテとケシテを区別するために灯りをツけよう
「いまそこに、照明にとりついたレイがいた」
もういちどレイ静になってショウメイをオトシテてみよう
「照明が消えれば霊も例もレイにすぎない」
ショウメイがおちてイルということはショウメイが存在する
「だがケッシテ、暗闇のメイはショウメイできない」
つまり君がいいたいのは、メイ外のことか
「君がいいたいものこそ、例外のことではないのか」
ひとつはっきりさせておきたいから君がケッしたまえ
「ショウメイもまたショウメツに類するということ」
決したまえといったのであって消したまえではない・・・・・・

――やわらかな世界は膜のように境界を包み不明瞭にする。

レイにいくらレイを掛けてもレイにすぎない
「それをいうなら零にいくら掛けてもだろう」
だが零に幕をかければレイになる例外がある
「アンがいとそういう例もあるかもしれない」
例はあるかもしれないが零はないのに置くから異レイさ
「そのレイガイこそが詩の照らすソンザイさ」
詩は照らすよりも逃す役目に適している
「するとソンザイは今ごろノンザインかしら」
いま仮に、シ界にアカリをともせば存在は華レイに化ける
「軽い存在も明ルイ存在も類例はレイに帰す」
夏の植生から街路に激レイの鞭がのびている
「街路は影の馬足をつよめて豊麗に焦げていく」
このようにしてレイはあらゆる影に忍びこむ
「世界がシ合ワセに包まれ泡ンダーランドにかわるとき」
ところで灯りについている霊はアワで落とせるのだろうか
「降霊のコウと光をアワせればコウタイするだろう」


自由詩 灯りがついて、霊が消えて、灯りをおとすと、レイが現れる Copyright 菊西 夕座 2024-05-05 17:01:00
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