風のオマージュ その9
みつべえ

☆立原道造「さびしき野辺」の場合





いま だれかが 私に
花の名を ささやいて行った
私の耳に 風が それを告げた
追憶の日のように

いま だれかが しづかに
身をおこす 私のそばに
もつれ飛ぶ ちひさい蝶らに
手をさしのべるやうに

ああ しかし と
なぜ私は いふのだらう
そのひとは だれでもいい と

いま だれかが とほく
私の名を 呼んでゐる・・・ああ しかし
私は答へない おまへ だれでもないひとに




 札幌の予備校に通っていたことがある。冬期オリンピックがその都市で開催される前年のこと。予備校の寮に入って朝から晩まで受験教材とニラメッコ。あんなに勉強したのは生まれてはじめての経験だった。もう二度としたくない(笑)。
 というのは置いといて、上に掲載した作品はその予備校の便所のラクガキのなかにあった。もちろん無記名。だから後年、室生犀星の「我が愛する詩人の伝記」(新潮文庫)のなかで再会するまでは、そこの予備校生が気分転換に書いたポエムだと思い込んでいた(笑)

 これは恋のあこがれと不安をうたった抒情詩なのだろう。
 しかし「いま だれかが」「花の名を ささやいて行った」のを「風」が「追憶の日のように」「告げた」という、なんとも不思議な感覚。「いま」のことを「追憶の日のように」とは。「私のそばに」「しづかに」「身をおこす」「だれか」も実体が希薄である。そして、あろうことか「そのひとは だれでもいい」し「だれでもない」のだ。
 これは、はじまったと思うまに終わっている物語。つまり実際には何も起こってないのに、言葉だけで仮想されてしまった世界ではないのか。立原の詩にはこうした虚構性がつきまとう。その繊細華麗な語法に酔いしれながらも、どこか「オイオイ、ソレハ、ホントナノカ」と思うことがしばしばある。素朴な感情の発露ではなく、言葉のみで世界を再構築しようとしたような。その意味では立原の詩はきわめて現代的だといえるが、なにやら胡散臭い印象を常に払拭できない。そう思うのは夭折という事実に深く関係しているのだろうけど、私においては最初の出会いが便所の中だったせいなのかもしれない(笑)。
 立原道造ファンのみなさん、ゴメンナサイ。



●立原道造(1914~1939)

東京日本橋に生まれる。中野区江古田の療養所にて死去。生前に刊行された作品は、詩集「萱草に寄す」と「暁と夕の詩」に収録した二十篇にすぎなかった。



散文(批評随筆小説等) 風のオマージュ その9 Copyright みつべえ 2003-11-29 12:49:07
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