誤解
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誤解を承知でいえば、僕は誤解して欲しいから話す。たくさん誤解して欲しくて
たくさん話すのです。ちゃんとの理解なんて求めてない。僕も沢山たくさん誤解
するし。誤解しながらどれかひとつ本当の貴方にいつまでも近づけるように貴方
がたくさん話してくれると嬉しい。はっきり言って僕には貴方のことも含めすべ
て誤解しか出来ないのです。誤解からしか確かな感触を伴う理解は得られないと
核心(的な誤解)を抱いてる。だから貴方にも僕を分かった積りでいてもらった
ら困る。僕には貴方が分からない。貴方にも僕は分からない。ってことをよく分
かってて。こういう風にお喋りする僕の習い性についてのどうしてかを、貴方が
自由に誤解して、他の誰かに説明する現場、仮に喫茶店の観葉植物越しに、偶然
居合わせたとすると、貴方が僕に抱いてきた誤解の歴史をこれまでと違った角度
で垣間見れるはず。撮ったケーキを投稿し終えた誰かは、あなたに僕の印象を問
い、貴方も得たりと声を遣う。貴方の意見は僕とふたりでいるときに伝えてくれ
るものとは少し違うだろう(或いは激しく)し、伝える相手を変更したならより
異見の風味を増すだろう。そんな貴方が僕をどんな風に誤解しているのか博覧性
豊かな一端に触れた瞬間、僕の指にピカン! と閃くものがくる。あぁ、キミは
そんな人でもあるのねと昂ぶる、こちらとしても芯から愉快な誤解に包まれる。

一瞬でも理解した気分に陥るのが誤解の本質です。誤った解。少な
くとも解は出たのだし、出した瞬間は一応スッキリしたはず(無論、
モヤモヤとしか出てこない解も少なからずあるのだが)です。階段
を昇った、辺りを見渡した。その全てが間違っていたのだと分かる。
取り返しがつくとかつかないかとかではなく、自分が見誤っていた
のだとはっきり自覚できたことをひとつの成果と見做すのは間違い
ではない。その地道な努力で闇を打ち払い灯を点しましょ的、論理
に掛からない間違いがたどり着くのはどこまでも間違いであるのだ
と深く知ったからこそ、毛色の違いごときに舌を打ったり巻いたり
の盲惑は脱した、と言い換えることは可能ですか? 心のどこか、
澄んでしまいそうな。
もちろん、細部も全部もあまさず諒解しました、そう誤解したまま
過ごすのも「アリ」でしょう。ただこれだけは断言していい、理解
してしまったらそこで競技は終了だ。空想の翼は自ら折れた。もう
どんな波形にも無限は二度と軌跡を現さない。傘のパラシュートも
要らなかった。そして、それはそれで素晴らしい成果だと断言して、
おめでとう・・・・、手放すことでしか固定しない未来へレッツ・ゴー、
僕は拍手する。

五階に住んでました。五という漢字を教わって、恰好いいって勘違いして、や
たらと綴りませんでした? すぐに飽きたと思います。僕はそうでした。です
が、覚えるだけで済まされるんじゃ何もかもが無意味でしょ? 基礎体力作り
や反復練習、その応用系をいつ、どんなして自得したのかのがやっぱり誰にも
分かりません。であればこれも誤解の一形態と言えないでしょうか? 五だけ
じゃない、他にも樹とか愛とか鬱とか薔薇とか、授業なんかそっちのけで記憶
するつもりもなく綴り続けた文字。あれは一体何を誤解していたのでしょう。
いつ迄も終わらない暴力へのささやかな抵抗? はやく大人になりたいのに、
いつ迄も羽化できない怒り? 好きな人が住む池に近づくだけで穢れる思惑?
仮に肉体の一区画がいつでも臭う、それを人に悟られまいとする怯えが遂に、
自分自身への誤解ひとつでも解き明かしてしまったなら、孤独を癒すためだけ
でもいい誰か、決して解き明かせない誰かを頼る他にないじゃない、でしょ?
合わせ鏡の真実は、どんなに必死に覗きこんでもその中心に立てなければ知り
得ない。立てたとしても、瞳の消失点ひとつあるぎりという疑念も拭えない。
一辺の枠を眺めれば、確かに連続を見るだろう。求めた永遠の概念に較べれば
あまりにお粗末な、覗き時のあれとの類似性が優るばかりで、もうね。と窓べ
に溢れる公園の芳醇さに肝を潰す。白爪草が咲いている。水に濡れている。蛙
が蟷螂の捕食をかいくぐる。息する鳩。雲が割れ、子どもが楓を抱きしめる。
それは未だ完璧な誤解。





自由詩 誤解 Copyright soft_machine 2024-04-03 17:54:45
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