音楽をください
中田満帆
ロビー・クリーガーのようにピーター・ブロデリックのようにギターが弾きたい
ときには折坂悠太のように吼えたい、三上寛のように私小説でありたい
ことごとく滅びたはずのぼくを呼ぶ音楽たちをいまも愛おしくおもう
堀内幹のよう懐いだされたいときも、宮本浩次のように忘れられもかまわない
ぼくがぼくの文体を得るのはいつも他者の声からだった
ヘロー、ヘロー、涙が抒情であったときに帰りたい
ぼくのなかでじれるフガジや、トム・ウェイツがいまでもなごる
この海岸、そして浸透する大人たち
谷口健、そして吉村秀樹へと至る道をどう生きていいものかいぶかった
松崎ナオよ、あなたの裏声はこのバックスペースには届いただろうか
狭い室からぼくはずっと眺めていた、ぼくのなかの音楽が正しいのかと
それでもかれらを溺愛し、そして没してしまうだけのなにかなのか
否──否をつげる、ぼくはぼくの音楽をやるだけだ
神社の境内で手遊びをする幾千の子供と、
カネコアヤノのグレープフルーツを歌い、
フィリップ・セルウェイのストレンジ・ダンスを踊った
ここにはなにがあるものか
さっきまで断線──そして私的な詩
狂ったおもかげがうつくしい賛歌を告げることにやっと、
おれは慣れて来たのかも知れない
いったこと、こわれたこと、いいもらしたことに澱みながら、
おれはたぶん、いまを生きている
おれの被造物として喋る幾冊の詩集とともにして、
これからもずっとあなた方を呪いたい
そのための呪学をここに、
どうかここに置いてください
それだけが祝祭、
それだけが祝祭
やがて散る発語のなかでわれた水瓢簞がぼくのなまえを名乗る、
そのときにきっと、そのときまでにずっと、
おれはわたしはぼくはずっと、
翻訳不能な言語のなかで、
生まれ始めた心のなかで、
それこそ否を伝えるために下座に坐って、
待っているしかできないんだから。
音楽、そして音楽を、
ぼくやあなたのなかに音楽を、
唄うでも聴くでもない、
ただそこにある音楽をどうぞ刻んでください。
さきほど水菜を落としてしまったんだ、
この器にも音楽をください
どうかください。