ある耄碌老人の朝
室町

朝起きて濃いめの緑茶を飲んでから
手製の蒸しパンをつくる。
カップ一杯の米粉に大さじ二杯の砂糖と
塩少々、そしてドライイーストを
小さじ一杯。
そこに温かいお湯を入れて
溶けたチョコレートのような柔らかさまで
練る。50回ほど練ったらラップをし
25度ほどの室温(なければ布団の下)で
30分ほど放置する。
メールを点検し
ネット投稿板のビーレビと現代詩フォーラム
の投稿作品をざっと読む。それから
ツイッターXに付いたコメントの一部に
返事をしていると
タイマーのブザーが鳴る。
みると手頃な器に入れたパン種が
沸騰したように泡をふいてこぼれそうに
なっている。
イースト菌の神秘だね。菌が砂糖を食べて
膨らみ、炭酸ガスを発生しているのだ。
フライパンにコップ3杯ほどの水を入れて
沸騰させ、そこにラップをしたパン種の器を
置く。タイマーを20分にセットする。
そうしておいて
ネットで買ったアディダスを履いて朝の
サイクリングに出かける。
これは健康のためというより、冷気に満ちた朝の
空気を胸いっぱいに吸うためだ。
自転車の右側のハンドルを右手で握り
左側のペダルに右足をかける。
もうこれだけで普通の人ならどうにもならないのだが
左足を蹴って右足と右手で重心をとりながら前へ進む。
蹴った左側の足を左ペダルのクランクの付け根にかけて
身体を浮かせ、サドルにまたがる。
これで自転車をこいで走ることができる。
二時間ほど練習すればだれでも出来る。ただ、だれも
やろうとはしない。
たぶん世界でも誰一人やっていない乗り方でわたしは
自転車に乗っている。降りるときはこれの逆。
これで結構、信号などでらくなときもあるのだ。
そうやって走り、一キロほど離れた所にある高級住宅地の
石畳の坂道を登るのだが、
角度は一番急なところで40度ほどある。
体感的には断崖絶壁の感じだ。
これまで一度だってその坂道を自転車で登る人を
見たことはない。
電動アシストの人でも降りて押している。
しかしわたしは
坂の上まで自転車で登る。
これにもコツがあるのだ。だれでもそうだが
途中でもう幾らなんでも限界だ、無理だと思う。
そこで普通は皆降りてしまう。
わたしもそうだった。
しかしあるとき考えた。果たしてそうだろうか?
やればできるんじゃないだろうか?
挑戦してみると、なるほど途中で一ミリだって前に動かなくなる。
しかしそこからだ。あえて無理にペダルを踏む。
すると脚がつり、心臓がやぶれそうなほどの圧がかかるけど
やってみると、腰を浮かさなくても自転車は前へ進む。
停まっているともみまがう速度だが
少しずつ坂を上り、もうダメだ、いやもう絶対ダメだよと
思ううちに、とうとう頂上に至る。
人に出くわすと
たいていの人が呆気にとられ驚いて、こちらをみている。
これがわたしのひそかな楽しみなのだ。
わたしは人が驚いている顔をみるのが好きなのである。
蒼白な顔をして激しい息をしているけどわたしは
余裕のそぶりを無理につくり、涼しい顔で行き過ぎる。
そして歳をくっていることを見せつけるように
帽子を脱いで半白髪の頭をみせたりすることもある。
達成感がある。
もちろん何度も登るうちに太腿の筋肉はか弱い女性の
ウェストほどにはちきれんばかりなのだが、
心の問題であることが多いのだ。実は無理をすると
結構やれるのに人は途中ですぐにあきらめている。
そしてその限界(とかってに妄想している)域を
こえたときの別世界を知らない。
こういうことは長い人生で幾度も経験した。
(ほんの少しがんばれば突破できるのに)
自然はいつもそのような限界域を人の前に設けて
別世界を隠している──。
20分ほどで家に帰るとちょうど蒸しパンが蒸し
上がっている。
蓋をひらくと
イースト菌の作用でパン種が
まるまるとふくらんで表面がつやつや光って
いるのがわかる。
これを器ごと食卓に置いて無農薬野菜ジュースをなみなみ
とコップに注ぐ。
いたってシンプルな朝食だが自家製の米パンの
なんともいえない甘さと酸っぱいイーストの香り、
ほかほかもちもちした噛みごたえ。が、やめられない。







散文(批評随筆小説等) ある耄碌老人の朝 Copyright 室町 2024-03-19 12:08:08
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