いつでも枕がそこにあるとは限らない
ホロウ・シカエルボク


お前の筋書き通りさ、神様は血を吐いて仰向けに倒れた、悪魔は小洒落た燕尾服で現れて上等のワインを抜いた、甘い香りがそこら中に漂って…忌み嫌われたロックンロールのイントロが流れ出すとどいつもこいつも狂ったように騒ぎ出す、みんな熱狂の幻覚の中で馬鹿になった振りをしたまま死に絶えてみたいのさ、地面に染みを作るのは興奮のあまり漏らしてしまったグルーピーたち、何も心配しなくていい、踊っているうちにすべては乾いてしまうだろうさ、罪を流すにはとにかく時間をかけることだ、やり過ごす間に自己嫌悪で壊れてしまったりしないことだ―みんな教えてくれているだろう、そういうテキストは世の中に腐るほど溢れている、どこを見ても優秀な教師ばかりさ、まったく、反吐が出るほどにね…片隅のモニターでは「ルード・ボーイ」が流れている、俺はその映画を二十年くらい前に二、三度観たことがあるよ、世の中に向けて差し出されるものたちのほとんどは、その意味も知られないままに片付けられる宿命を背負っている、だけどそれを、だけどそれを、正しく受け止める連中というのも、少ないけれど必ず居て、そういうやつらは決まって俺をいい気分任させてくれる、お前の筋書き通りさ、老いぼれるまでずっとこんなことを続けているんだ、だけどそのことを悲しいと思ったことなんかないさ、濁流の中でも行先を見失わなければ、それなりの景色は見えるとしたものだ、かなりたくさんのものを落としてきてしまったけれど、そのひとつひとつに不幸なんて名前をつけようとは思わない、その中にはかなり大切だったものだってある、でもいまさらどうしようもない、誰だって望むものをすべて手に入れることが出来るわけじゃない、それに、本当の喪失なんて生きている限りは在り得ないものだ、ピンク・フロイドの映画みたいにベルトコンベアに乗ってるやつら、速度が安定していることを誇りに感じている、でもそれは彼ら自身で手に入れた速度ではない、俺は特殊な刃でやつらを切り刻む、それは肉体を傷つけることはない、ある種の盲目―そいつだけを切ることが出来る刃だ、俺は古い傷を押さえる、俺だって遠い昔、誰かにそんな風に切り刻まれたのさ、それが、いつ、どこで、誰だったかなんてもう思い出せない、でも俺はそのお陰で、なにも見ないまま人生を重ねずに済んだ、自分の力で自分の人生を生きることが出来たんだ、切り刻まれた衝撃は色褪せない、魂が曇らない限りね…列の後ろに居た女が倒れる、熱気に当てられたらしい、スカートが捲れて下着が露わになっている、俺は紙カップウを捨てて、女のもとに歩み寄りスカートを直してやる、どうせみんなステージを見ている、誰も俺たちになど気づきはしない、俺は自分の荷物を枕代わりにして、彼女を寝かせてやった。倒れてた時に頭を打ってたように見えた、起きるかどうか心配だったのだ、アンコールの途中で女は目覚めた、俺は前日の仕事の疲れでウトウトしていた、「これはあなたの?」女は枕になっていたものを持ち上げて言った、俺は目を開けて頷いた、「目が覚めたか」「ヤバい倒れ方だったから心配していた」女は肩をすくめた、「わたし、興奮するとすぐ気絶しちゃうのよ、脳がすぐ酸欠になるの」そんな病気もあるんだな、と俺は言った、ライブは終わり、人々はわりとあっさりと現実に帰って我先にと出口に向かっていた、「あなたはこれからどうするの?」「家に帰って眠るつもりだよ」女は笑った、「それじゃあわたしもそうしようかな」帰り道で興奮するなよ、と俺は釘を刺した、女は口を歪めて笑いながら俺を軽く小突いた、「いつでも枕がそこにあるとは限らないものね」御尤も、俺たちはライブハウスを出た、女はひらひらと手を振って俺とは反対の方向へ駆けて行った、興奮すると気絶する体質、それなのにロックのライブにやって来る、余程の馬鹿なのかそれとも勇者か、もう少し詳しく聞きたい気もしたがもう女の姿は見えなかった、そんな時に彼女が見る夢はどんなものだろう、気を失っている時の女の顔はスイッチを切られた機械みたいだった、俺はその体温すら疑ってしまったくらいだ―帰り道はほんの少しの雨に濡れていた、次の雨粒が落ちてくる前に乾いてしまう位の雨だった、仰向けに倒れた神様が蘇るのはいつのことだろうか、それとも神なんてものはいつだって、見栄っ張りの大ぼら吹きなのか、今日プレイされたナンバーのことはひとつも思い出せなかった、記憶にあるのはただ、無音の画面の中で政治や若者について喋っている、今はこの世界に居ないジョー・ストラマ―の目つきくらいのものだったのだ、帰ったらシャワーを浴びて、コーヒーを飲んで、古いレコードを聴きながら眠ろう、人生は巡る、失われたものたちだって、少し形を変えてまたこの手に戻って来ることもあるだろう。



自由詩 いつでも枕がそこにあるとは限らない Copyright ホロウ・シカエルボク 2024-03-03 14:42:47
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