Cheers
リリー
「な、なっ、これ。あたし持って帰って
味噌汁に入れるしラップで包んどいて!」
友人へ手渡す 小さなまな板で半等分にした
えのき
玄関開けた沓脱場から上がってすぐ傍、
ガスコンロには厚底の両手掴み鍋
ワンLDKの狭いキッチンスペース
置かれる大皿へ すでに盛られてある
白菜、白ネギ、もやし、椎茸、えのき、焼き豆腐
別皿のお肉と玉ねぎがサラダ油を敷いた鍋で
軽く炒められると市販のタレを加え野菜を炊き始める
ずっと私の目線は前方の壁へ向き、喋り続けていた
「はい。では次に。あく抜き要らずの糸蒟蒻ですね、
こいつをドバッと。」
小ざるで水切りしてあった糸蒟蒻を鍋へ
あけてしまった瞬間、
「あっ、どうしましょう!」
地声になった が
冷静沈着な口調に戻り
「うっかり蒟蒻…切るのを忘れました。鍋の中で、蕎麦の様に
なっております。これ、器に取りづらいですね。どうか皆さま、
食べやすい長さにお切りなって炊いてくださいませね。」
脇に立つ友人がのぞく
タレに浸されるトグロ巻いた蒟蒻
「はい。ほうれん草はですね、炊いてしまうといけませんので、
最後に鍋の火を消してから加えてくだされば十分でございます。」
南向きで明るい窓の部屋
炬燵に 取り皿やお箸、タマゴを用意している友人
もう殆ど相手にされていないにも関わらず
すっかりノッテしまっている
「さ、出来ましたね。本日はビール好き、少食の方にピッタリの
安上がりヘルシーな、お肉少な目でございます。」
鍋敷に置かれる
取り箸とオタマの入ったすき焼き
JRの駅前で家賃七万円近いマンションから
二ヶ月前に引っ越した友人
離婚して認知症の母親との二人暮らし
在宅介護に行き詰まり
施設入所を決めた 母と娘
「この間…面会に行ったら、私のこと分からんかったわ。
一緒に暮らしてた時は、そんな事無かったのに!
口も達者やったのに。だんだん表情も乏しくなってくるんよ。
施設入るとな…、どうしても。」
京阪電車の最寄駅から徒歩十五分程
琵琶湖から流れ出る瀬田川に架かる瀬田唐橋を渡り
湖東岸を北上する県道を細いわき道へ入る静かな住宅地
二階建てのアパートで、彼女の新しい生活は始まっていた
「では、いただきましょう!」
友人が冷蔵庫から出したロング缶
注いだビールは程よく泡立ち
乾杯の音頭をとる私に「ありがとう。」とだけ
言って、半分以上飲んだグラスを置く彼女の笑顔
「いい天気なって良かったなあ!」
今年は菜種梅雨の入りが早く
近頃 ぐずついた空模様だったのだ