のらねこ物語 其の十六「金魚の掛け軸」(一)
リリー

 「こんな掛け軸さ、女中部屋に贅沢だよねぇ!」

 おゆうは小窓のわきの壁に釘を刺して
 御隠居が おりんに渡した掛け軸を吊るすと眺める
 本紙の中央には硝子ビイドロの金魚鉢一つ 
 そこに 一匹の金魚

 鍋島藩の 型を用いない宙吹きの技法で
 成形されている金魚鉢
 筆の曲線は空気以外触れるもののない、なめらかな肌合いを
 手に取る様に描いている

 金魚の赤は、なんと
 細工紅という紅花の花弁から精製された高価な絵具よりも、
 赤の純度の高い 小町紅
 これは基本的に絵具ではなく口紅用であり
 上物の浮世絵に使用されていたのだ

 美麗な本藍を薄くのばして溶いた
 ガラス鉢の水に 
 今にも泳ぎだしそうな金魚

 そして 翌朝のこと
 まだ外は真っ暗
 おりんは かまどの火の色を見ていた

 「ねえ…死んじゃったね。」
 「うん。」
 後から起きて来た おゆうが両手に持つ
 小さな洗い桶には身を横たえて浮かぶ
 おりんの金魚

 おゆうは言った
 「後でさ…、一緒に庭に埋めようね。」
 「うん。」
 おりんは かまどの火から目を離さなかった。
 


自由詩 のらねこ物語 其の十六「金魚の掛け軸」(一) Copyright リリー 2024-02-18 15:07:52
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