わが童貞時代に犯したるあやまち
室町

狂犬の吠える午後五時半
廃れし遊郭になをかほる脂粉の色香にときめき
まなこ据えたる見習い板前のわれは
五条楽園の水駅を彷徨さまよへぬ
鴎外が夢想せし細流せせらぎに罪人の舟今はなく
川辺はさらさらと永遠を奏で
そのもとに篝火花シクラメン赤くほのめく
幻惑の病ひに罹りし童貞のわれは
ステンドグラスの窓際まどぎわより
足もとの白足袋を脱ぐ少女を盗み見ぬ
その黒髪のゆれるを胸の髄から哀しみ
その白い御足に喉の渇きをおぼえ
手元に握りしめたる百円紙幣を数えたり
嗚呼! ときは昭和 一月の夕暮れ時
狂へる犬に噛まれたごとくよろよろと
いまだ恋を知らぬ童貞のわれは
ルオーの色彩の中に消えぬ
地方から売られてきたる少女は
白檀びゃくだん沈香じんこうの匂へる三畳間へわれを案内し
まだ知らぬひとつの物語のように
火ばちのそばに座るなり
おりしも芥子からし色の夕陽が
ステンドグラスの窓を通して差し
白花のかんざしひとつかざした少女の髪に映えぬ
獣の如く急きてその柔肌を抱きしめんとすれば
するりと抜けい出て自ら帯を解かんとする所作に
われはちんばの障がいをみたり
「脚悪いのけ」
「安うしとくきに、帰らんで」
昭和の偽善教育を受けしわれはおのれの欺瞞知りつつ
少女に手持ちの紙幣を与えて硝子細工の館を出ぬ
嗚呼!
偽善の気持ちにてさびしく硝子の館を出ぬ



             ※北原白秋生誕140年へのオマージュ



自由詩  わが童貞時代に犯したるあやまち Copyright 室町 2024-01-14 13:52:09
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