肌で生きるエウロペ
菊西 夕座

1、

たおれたままの若い病身に 全身全霊をかたむけて
詩神の秒針がかさなるとき もはや時刻は総毛だつ
純白の牡牛に身をかえて 四つ足のステップで誘惑し
美貌のエウロペをさらっていった 伝説が病床によみがえる

エウロペは落雷におそわれた 春の若枝(わかえ)にそっくりで
まなこを隅におよがせたまま 口角に泡をためて折れまがる
花もつけずに反りかえる細腕 その弓にそって詩神は美をすべらせ
奔放なつる草を矢型にゆわえては ふるえる枝に恍惚をうたわせる

縦社会で帆が垂直にのびても めざすべきは落陽の水平線
はてしない夜のかなたにしずむ 火炎の光芒をおいもとめ
おどり立つ波にむかって一直線 ふくす身を矢にかえて水をきる

悲嘆にくれたさなかにあって エウロペは露で苗床をしき
ゆめみる力で波紋をひろげては 幾千万もの穂をそそりたて
這った地へいを黄金にそめぬき みずらの髪にしたて風にそよがせる


2、

髪のなびきにみちびかれ 足もうごかせはじめたエウロペは
背にはてなく髪の穂波をしたがえて 広大な領地をかけてゆくも
穂波はしだいに左右にわかれては エウロペをとりまいて立ちあがり
どこまでかけて逃げても 巨大な壁となって恐ろしくせまりきた

やがて気がつけば腰はまた 純白の背にふかく根をおろし
波頭がはねまわる大海原をさいて 陸地からいやましに遠ざかる
牡牛にかつがれた己をみいだし 槍の穂さきじみた波頭にもまれ
全身が凍りついたエウロペは まえのめる角の帆に血脈をゆわえた

彼女の声にならない悲鳴だけが 孤島からのびる枯枝(かれえ)のように
ながく尾をひいて陸地にむかい 掻ききずのかたちに弦をはると
弦をつまびく潮風の音に いつしか海は凪いで悪夢もしずまった

かつてゆめみた穂波にかわり 枯枝のしたにひろがるアスファルト
暗くぬりつぶされた夢の舗装を せわしない足なみが歩(ほ)をきそい
その振動が頬につたわると エウロペはなお人間としてたたかった


3、

身じろぎもできないからだを ささえているのは母なる愛の息吹
いたずらにひねくれてしまいそうな エウロペというやせ細る枝を
大地につなぎとめる太い幹 麻痺する感覚をいつもはげまし
あつい樹液のような手のひらで かんじやすい肌をさすってくれた

いかに牡牛がちからの象徴で どんな恋をもかんたんに篭絡し
深山もかるがると押しのけ 深海もやすやすときり裂き
オリュンポスの山頂に君臨し 運命さえひとひねりであっても
エウロペと大地とをむすぶ 母なる絆はたちきれなかった

いましもその絆が穂となって 群れそだつエウロペの肌いち面に
母がひかりの樹液をそそぎこみ 穂波が金のみのりにふるえると
なえ衰えたエウロペのからだに あらたな器官がめをさます

よこたわるだけの細い枝から ちいさな新芽が無数にあわだっては
空からおちてくるあめの粒と 求愛のワルツをおどりはじめる
カップルが芽ぶくたびにエウロペは 進化する生を肌でかんじた


4、

総毛だつやわ肌からふきだす汗に エウロペの感覚が凝縮する
あおむいたしろい両手が顔のまえで サンゴのように腕にはりつき
うすく白目をむいて笑っている 彼女のくちはひきつったまま
結晶する汗をかじつにかえて 全身全霊でにおいたっている


5、
 
苦しくて立ちどまりそうなとき ただ汗だまとなってエウロペをおもう



自由詩 肌で生きるエウロペ Copyright 菊西 夕座 2023-12-29 22:09:26
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