たわわな虚無
ただのみきや

水脈を断たれて土地が干上がって行く
わたしの生涯は幻を耕やすことに費やされた
この胸にいつも寄り添っていた処女地は
人類共通の淫売婦にすぎなかった
精を貢ぎ続けたわたしも
彼女の周囲を飾る白い骨片の一つとなるのだろう


釣り竿の先にカワトンボが止まった
パウダー状の光
マドレーヌの上で斜塔となったメトロノームの涙がコインのように転がってゆく
水面下では目のない大魚が夢を見ている
わたしを書くわたしの夢
象徴するものとされるもの
比喩と実体が置換される世界
現実という長い比喩を
比喩という現実に読み戻す
わたしたちは外側からしか開けられない世界の中に置かれた鍵だ
魚よ魚原初の苦い沈黙発芽しないことばの種子よ
まぶたを割礼せよ
震えながら裏切って羞恥を匂わせるあの花のように
身投げした女とねじれて対をなすもの
現実こそただのほのめかしではないか
詩こそ実体でわたしという人間がその比喩だ
ことばの中に閉じ込められて地団駄を踏んで
弓で弾かれて鳴け歌えと拷問される
縫い付けろ 擬音に口を開かせるな
くねらせろ その身を蛇のよう
皮膚下を漂う炎の海月 
青い呪いの頓服薬


うすい被膜に包まれた
空白 虚無
被膜の表面にすべてが書き記されている
自分で書いたもの
他人に書かれたもの
記憶のすべて
自分の性格だと思っているものすべて
思想とか哲学とか
夢とか目標とか
すべてがうすい被膜の表に
所せましと書き続けられ
隙間がなくなれば
いらなくなったものを消してスペースを開けて
またも書く
消しては書いてを繰り返しながら
裂果と呼べる実はなく単なる劣化によって
やがて被膜は破れ
虚無は圧力を失い
大気へ放出され霧散する
そんな風船みたいなものだと
想い始めてから
わたしは自分の中心
虚無の最深部を探ろうとしている
誰かに目がとまれば
その外側に書かれたことよりも内側の虚無が気にかかる
座標もなければ何もない
虚無に没入して
まるで愛人であるかのようにそれを撫する暮らしが
うすい被膜から透けて見え
傍から見ればさぞ気持ちの悪いことだろう
だが他人にマジックで顔を描かれたり
それを好みの顔に描き直したりしながら
情報の風にふわふわ漂うものの一つとなることで
時代や世界と繋がっていると思い込む
そんな実のある生活を大真面目で語るのを聞くと
こっそり針で悪戯したくなる
パン! と割れないで羊羹でも出たらいいね


雪は散るように降る
生と死のはざまに踊る羽虫のように
遠く山並みは幽玄をまとい
近くの樹々は黒い肢体を際立たせる
それは模倣された死であり
地にしっかりと受け止められて
底なしの虚無へ落ちることはない
雪は溶け 
また凍り
やがて水になって流れ
気化して空へ帰る
こころは雪を映し
雪はこころを映す
人だけが迷う
考えること
感じること
真実はひとつの顔
ねじれた無数の階段で構築された
迷宮を包むひとつの表情
真理と呼ばれるものが
万人に心地良い鐘の音であって
何ら深い意味など持っていないのと同じように
記号であることばからは
あらゆるものが削ぎ落とされる
ことばを使役しているようで
人はことばに支配されている
そうして閉じ込められた奴隷として
今日もまた紡がされている
たましいの繭玉がすっかりことばに変わり
なにかが織り上がるころ
跡形もなく
羽化した虚無は
雪のように姿を変えたのかどこか帰るところがあるのか
むだな詮索だ
ことばはただ追いかけて果てしなく言い換えるだけ
虚無の本質を留め置き開示することはない
ことば以前からずっとことばにならなかった
だから虚無なのだ


路の脇のまだ誰にも踏まれていない雪の上
枯すすきは風を枕に夢を見る
睫毛にまろぶ朝の輝きの中
時計に粉砕されて砂となって滑り落ちてゆく
そんな時間とは別に
ポケットから取り出す時間がある
永遠と隣接したそのたわみふくらみ
わたしの目の前をきつねの足跡が通り過ぎて行った



                     (2023年12月23日)











自由詩 たわわな虚無 Copyright ただのみきや 2023-12-23 11:58:20
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