沈黙と言葉
ワタナbシンゴ



好きな詩人はたくさんいるが、石原吉郎ほどその言葉の碇が時代を超えて突き刺さる詩人はいない。私にとってもその都度読み返す大切な作家のひとりだ。




花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
あり得ぬ日々をこえて
花でしかついにあり得ぬために
花の周辺は適確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ

(石原吉郎『サンチョ・パンサの帰郷』「花であること」)



シベリア抑留の体験を沈黙の閾値で書いた『望郷と海』は何回読み返しただろう。


石原は、シベリア各地のラーゲリを転々とし、極寒の地での激しい強制労働、栄養失調、同じ囚人からの密告など、人間の肉体と感情の灯を失わざるを得ない状況下を生き抜いた。その壮絶な、生が剥き出しに晒された環境で、何より厳しく自己の精神と魂のありようを見つめ続けた中、累々たる沈黙の上に落とされた言葉たち。そういった体験下で、花であることを宣言することでしか、自らの立つべき拠り所を保つことはできない日常があった。



しずかな肩には
声だけがならぶのではない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓たわみ
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である

(石原吉郎『サンチョ・パンサの帰郷』「位置」)



ぎりぎりの場所で詩として成り立つ緊張感は、権力によって微動だにすることを禁じられた個の肉体と、その緊縛のなかですら生き永らえようとする生の残酷さだ。時代を越えてその情況が差し迫ってくる。石原が体験したこの詩の重みに、今も同じことを繰り返している事実に気づく。そして告発ではなく、詩の沈黙として石原は抗った。



沈黙は詩へわたす
橋のながさだ
そののちしばらくの
あゆみがある
それはとどまる
ふりかえる距離が
ふたつの端を
かさねあわせた
夜目にもあやな
跳ね橋の重さなのだ

(石原吉郎『続・石原吉郎詩集』「橋」)



目にも綾な、夜目にもはっきりと見える沈黙と言葉の端と端が重ね合わさった跳ね橋の重み。


言葉を語る傍で、沈黙を掬いとることはできない。むしろその多くは言葉で語ろうとすればするほど零れ落ちてゆく。言葉で語られる側より、沈黙の淵を石原は詩で挑み続けたのだった。


当時吉本隆明らは石原の姿勢を批判した。当事者が権力に対して告発しない姿勢を問うたのだった。しかし石原は一貫して告発よりも沈黙を選んだ。沈黙の閾値が持つ重みが、彼の中の断絶に横たわっていたからだ。それはすなわち、言葉の向う先、語り手や声の大きさ、立場や批判対象すらすべて覆わざるを得ない沈黙の重さだった。


それは、沈黙せざるを得なかったことの重みを誰よりも知っていたからだともいえる。歴史の事実とは、果たして大きな声で語れるものだろうか?人間の得体のしれなさ、自然の厳しさ、簡単に心を失う拠り所のなさ、その中でも筋を通し続け死んでいった者のあり様。石原の詩からは、軽薄な言葉や目的の機能と成り下がった言葉に対する、射るような眼差しが発せられている。


最後にもうひとつ、私の好きな石原の詩を贈りたい。



世界が滅びる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ

(石原吉郎『続・石原吉郎詩集』「世界が滅びる日に」)






その石原も晩年、アルコール依存症と女性関係で身を持ち崩し、この詩が発表されてすぐ、泥酔による心不全でこの世を去った。


散文(批評随筆小説等) 沈黙と言葉 Copyright ワタナbシンゴ 2023-11-29 01:29:30
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