無題
おぼろん

 春の訪れを待ちながら、冬の厳冬、雪に備えている。かつて友達だったものは、30年も音沙汰がない。わたしに罪があったのだ。わたしの罪をぎゅうぎゅうと押し付け、友人たちは辟易もしたり、激怒もしただろう。わたしは、わたしのなりの、わたしの思惟を周囲にばらまこうとしていた。その罪を、わたしは後悔という名の物として、繰り返し反省している。哲学が何だ、形而上学がなんだ。わたしはそれらを飛び越して、抒情をつづるべきだった。ドトールで、わたしは本をひたすら読んでいた。勉学? いまは趣味だ。未だにわたしの書くものが、趣味の範囲を逸脱していないことを感じる。オレンジジュース。グレープフルーツジュース。このごろはコーヒーを飲めない。煙草も不味い味だ。街へ出ていきたいが、街は毒だ。金銭と引き換えに、他愛もないからいくらかの物を手に入れる。わたしの部屋は乱雑で、衣服を入れる箪笥さえない。わずかばかりの衣服を、段ボールに入れている。惨め、という感慨も湧くではない。遠い憧れの水平線に、希望という楽観があれば良いのだ。波止場のコンクリートの岸壁に、ただ足を垂らしていれば良い。雲は遠く、雨も降りしきっている。わたしは濡れる。悲しみや寂しさという寂寞に。後から顧みて、人生は誠に良いものだったと思う。そこでは、不幸すらが至福だ。わたしは今日も鬱屈とした日々を過ごす。耐えているのだ。他人の忍耐は、わたしから見ればほど遠い。身近にいる家族ですら、本当のことは分からない。時計はただ、時を刻んでいる。そして、死という安楽を待ち望み、生を謳歌している。さすれば、わたしは幸福なのか? 終わりのない。尽きない自問。腕時計の秒針の音が、ただわたしという幽霊を慰めている。


自由詩 無題 Copyright おぼろん 2023-11-28 04:45:33
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