ふざけてるのか
石川湯里

いえ、この曲の存在を知ったのは山田にラインを送る寸刻前のことなのです。
衝動的なラインだったことは否定しません。それについては申し訳なく思っています。自戒の念から、その時の状況、精神状態をよくよく内省してみました。
しかし、山田にラインするという行動をどうやっても止めることはできなかった、という結論に達しました。
遡ること今日の午前11時、奇妙な体験は前触れもなく始まりました。
午後にとある会合を控え、1日休みをとった私は、いつもより少しだけ遅い朝を迎え、支度を整えてから所用を済ませるために家を出ました。
月曜、右手中指のちょっとした炎症で近所の外科にかかり、指先を針で突くくらいの軽い切開をしました。念のため予後を見た方が良いだろうと医者の勧めで、今朝も受診したんです。
しばらく待ち時間はありましたが、手際のよい病院で受付から会計まで30分とかかりませんでした。
病院を出て時計に目を遣るとまだしばらく時間があったので、一旦自宅に戻ろうと自転車を走らせました。その道すがら、なんとなくの気まぐれで、11時の開店とほぼ同時にインドカレー屋に立ち寄りました。初めて入った店でした。
居抜きの店内と、壁にはそれらしい装飾、少しベタついた安っぽいビニールのテーブルカバー、そしてすべての綻びを覆い隠すように香辛料の匂いが充満しているだけの典型的なインドカレーの店でした。
しかし、時間が早いせいで客は私一人。もともと狭くはない店内が、ひときわ大きく、異様な空間にも思えました。誰に促されるわけでもなく、私は壁に背を向けるように端のテーブルにつきました。
水をもってきた外国人の男の給仕に、一番安いランチを注文しました。チキンカレー、ナン、サラダ、ソフトドリンクで800円、このご時世では幾分良心的な金額だと、自分の選択に満足していました。
給仕は厨房の方へ行ったと思うと、何やら奇妙な音楽が流れてきました。音のする方に目を遣ると、向こうの壁にテレビが一台設置されていて、そして私の頭上にも同じものがあることに気付きました。
向こう側のテレビには淡い青や緑の肌をした豊満な女性のアニメーションが色々なポーズをとっていました。私は春川ナミオ画伯の鉛筆画には、或いはこの色が、と考えていたのですが、思考を遮るように、今度は音楽に再び意識を奪われました。
そうこうしているうちに、外国人の給仕がカレーとナンを運んできては、一礼して厨房の方へと消えていきました。
私がナンをむさぼっていると、ようやく今日二番目の客が入ってきました。そのくたびれた中年の男は私と対角のテーブルにつきました。視線を料理に戻すと、私は暇を紛らわすように再びナンを口に運びました。食事が作業のようになるにつれて、奇妙な曲が存在感を増していきました。このテーブルについた時に始まったはずのその曲が、まだ終わっていないことにも驚きました。
そしてテレビには青や緑の女達。
チープな異世界の演出だと考えると、いささか苛立ちました。
二番目の客の注文を聞きにきた給仕に視線を遣ると、こちらへと向かってきて歯を見せて笑いながら「ナンのおかわりですか」と私に尋ねました。
私は苛立ちを隠さず、叱りつけるように「ナンだねこのふざけた曲は」と問いました。
給仕は狼狽しながらも、ヘラヘラと何か言っていました。そんな姿を見ているうちにも込み上げてくる違和感、不快感がありました。もう一度「この曲はナンだと聞いている」と給仕に問い詰めてようやく私は埒が開かないことを理解しました。代わりにスマホのノートを開き「わかるようにここに書きたまえ」とそれを差し出すと、給仕は眉間をハの字にしながらも口元ではヘラヘラしながら何やら入力して、得意気にスマホを返してきました。
私は感情を取り乱さないよう深呼吸し、画面に目を遣りました。
「ねぱるの しばばばさん」


自由詩 ふざけてるのか Copyright 石川湯里 2023-11-22 23:31:09
notebook Home 戻る  過去