めーとる
妻咲邦香

それは彼方からやってきた
アントニオ猪木ってやつだ
とても大きな塊で
サンプラーザでの生誕祭
ぼくは警備員だった

客席通路のまんなかあたり
猪木は全速力で走ってきた
ぼくは猪木とぶつかって
見事はじきとばされた
音にならない音がして
ぼくはさんめーとるもふっとんだ
ふっとんでそして夢をみた
大金もちになる夢だ

仲間はステージでうたってた
少しよっぱらいながら
プロレスがいかにすばらしいか
たたえて笑ってうたってた
そんなとき、ぼくはふっとばされていた
さんめーとるもふっとんだ
よんめーとるだったかもしれない
ふっとばされて夢をみた
おんなのこにモテモテの夢だった

猪木はまっすぐ走ってきた
まっくろいパンツをはいていた
マイクを握ってわきめもふらず
向かってくるのはわかってた
わかっていたけどよけられなかった
なぜならあまりにも速かったから
そして正面衝突さ

ぼくはよんめーとるもふっとんだ
ろくめーとるだったかもしれない
ふっとんで夢をみた
有名人になる夢だ

猪木はとまらなかった
なぜなら急いでいたからだ
なおかつ段取りもきまってた
それは塊でもあった
一瞬ちらりとぼくを見たんだ
仲間は陽気にうたってた
お客さんはてびょうしさ
サンプラーザの客席通路
ぼくは夢のなかだった
きがつくといっぴきの羊が
ぼくのてのひらをちょぷちょぷと
なめていた

そのはなしをだれかに話したのは
さんじゅうねんごのこと
生き残るときめて、スカートめくりもばからしくなった頃
ふるい喫茶店がとりこわされた
そんなニュースが新聞のかたすみに載って
転職先をさがしていたぼくは
まだ夢のなかにいた
夢のなかで猪木は何度もぼくにぶつかった
しあわせな夢だった

まっくろいパンツをはいた羊が
あたらしい芸をおぼえた
このたびサンプラザーだかのステージでお披露目されるらしい
しあわせは続いてく
線路のように
その上を走る黒い塊のように
猪木はもういないのに

めーとるは今でもぼくの相棒
ちょぷちょぷとてのひらを
なめてはやさしい声で鳴く


自由詩 めーとる Copyright 妻咲邦香 2023-10-14 14:35:27
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