雨垂れが聞こえ続ける限りは
ホロウ・シカエルボク


死生観のような雨を避けて、廃墟ビルの中で壁に背を預けて座り込んだ、雨音は右心室で染みになり、睡魔に負け始めた俺は次第に薬物中毒者みたいな微睡みの中へと溶け始める、小さな火がそれ以上広がりもせず、だけど確実に少しずつ焼いているような気分だ、靴底が滑り立てていた膝が床に落ちる、湿気た埃は大して舞うこともない…捨て置かれた建築物は半永久的な落盤を想像させる、死に続きがあるのならそれはきっとこんな光景だろうと思わせる、現実はどこかで夢に取って代わられた、雨垂れだけが現実との接点となってじくじくした音を鳴らし続けている、赤子の頃から往生際が悪くて、何度も死にかけたけれどまだこうして生きている、当然覚えちゃいないけれど、きっと生と死の狭間で悪魔と契約でもしたに違いないさ、打ち捨てられた石が泣いている、被服が疫病みたいに溶けた電線が残された天井の照明器具の残骸は、捥ぎ取られた耳の穴みたいに彼らの声を聞き続けている、おおん、おおん、おおおおん、ぼんやりとした反響はまるで海鳴りのようだ、稼働している場所よりも空気が重く感じるのは、捨てられてからの時間が堆積しているからだ、雨は止む気配がない、いつだって雨は止む気配がない、たとえこの後青空が戻ってきたとしても、耳の奥で雨垂れはずっとなにかを語り続けるだろう、そしてそれはひとつも言語になりはしない、雨垂れだけじゃない、打ち捨てられた場所も、堆積した空気も、海鳴りのような反響も、だから俺はそいつらに踊らされてしまう、サイレントなんて空間は存在しない、どんな場所だろうとそいつらは語り続け、叫び続ける、そしてどうしようもない悲しみに打ちひしがれてる、苛立って憤っている、半ば眠っていた、本当に叫び声が聞こえていたんだ、俺じゃなければいいけどなって最初は思った、だとしたら誰かが様子を見に来てしまうかもしれない、そんなことになったら俺はほんの少し凶暴になってしまうかもしれない、でもそんなことは起こらない、俺はこいつらと同じさ、俺は無機物のように眠り、語り、叫び、憤る、違うプロセスが必要なんだ、なぜなら俺はまだ打ち捨てられてはいないからね、存在はさじ加減ひとつだ、貪欲に生を求めようと、死んだように生きようとね、だけどひとつだけ断言出来ることがあるとすれば、楽をすれば楽しみは減るってことくらいさ、どんなことだってそうさ、ひとつ突き抜けるためには途方も無い時間と力を注ぎ込まなくちゃいけない、おまけに結果はすぐに出たりなんかしない、継続は力なりって言うだろ、だけど本当にやり続けるためには、同じことばかりやってちゃ駄目なんだ、だから俺はこうして雨を避けている、見たことのない世界、そこで蠢いているものたち、俺が求めているのはいつだってそんな世界との関係性なんだ、不意に、毒ガスと同じ速度でささやかな風が入り込んでくる、もうすぐ雨が止むのかもしれない、そして暮れ始めた、次第に気温が下がって来る、でもまだ震えるほどじゃない、もうその頃には、聞こえている雨の音が現実なのかどうかよくわからなくなっている、確かめてみたいのなら手段はひとつしかない、立ち上がって外を歩くことさ、そしてそのまま家に帰って詩をひとつ書いてみることだ、でもそれはもう少し後でいい、そうしようと思う頃にはもっと頭もしっかりしているかもしれない、一日というプロセスには何の意味もない、そうだろ?だから俺たちみたいなのが躍起になってワードと睨めっこをするんじゃないか、意味なんてものそれ自体が、人間が作り上げた幻想かもしれない、理性は奇形化した野性だ、だからみんな噛みつく先を探しているんじゃないのか、クソみたいな自意識にこだわってさ…俺だって何も知らないまま十四才で終わっていたかもしれない、それは仕組みに気付く年齢なんだ、身に覚えあるだろ?(ああ、こういうものなんだ)って気付く年なんだよ、俺はあの瞬間思ったんだ、(こんなものを受け入れてたまるか)って、そんな決意のなれの果てがいまこうして言葉を並べているんだ、もしかしたら詩人なんて生きものは、一生掛けて雨を降らせ続けるのかもしれないな、わかるかい、それはただの雨音なんだ、でも、その傘の下で誰かが、そいつを言葉に変えてみようなんて考えたりするんだ、そう、書いてしまえばお終いだ、あとは時間という土の中に染み込んでいくだけだ、でもそいつがたまにいびつな芽をもたげたりする、俺は立ち上がる、確かめる時だ、この雨音がどこから聞こえてくるのか…そんな現実には何の意味もない、だけどもしかしたら今夜歩くリズムが少しばかり変わるかもしれない、そしてこう思うんだ、この音が聞こえ続ける限りは…この音が聞こえ続ける限りはと―雨はもう止んでいた、ダイイング・メッセージのように夕焼けが空の端っこだけを赤く染めていた、家に帰るべきだ、そしてその後は本当に眠ることが出来るだろう。



自由詩 雨垂れが聞こえ続ける限りは Copyright ホロウ・シカエルボク 2023-10-09 22:21:53
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