この夢のどこかに
ホロウ・シカエルボク


蝋細工の、人間の形をした名前の無い紛い物が、夏の温度によって次第に溶け瘦せ衰えていくさまを記録した短いムービーが、失われたシアターでリフレインされていた、それにはBGMどころか音そのものすら記録されてはいなかった、サイレント・ムービーというやつだ、いつ頃作られたものなのか、誰が作ったものなのか、情報としてなにひとつわかるものはなかった、そしてなぜ、この映画館でなければならなかったのか―劇場としての価値はとうに失われていたはずだった、客席の椅子はすべて取り払われ、タイルが割れて下地が剥き出しになったでこぼこの床があるだけだった、スクリーンはかろうじて残ってはいたが、映像を映し出すのに最適な状態とは言えなかった、スピーカーは生きているようだったが、このムービーには何の意味も成さなかった、時折乱れる画面はそれがアナログの機材で撮影され、編集され、投影されていることを示していた、デジタルを加工したものであるはずがなかった、それは本物にしかない質感とリズムを持っていた、俺はそこらへんに転がっている瓦礫を適当に寄せ集めて座る場所を作り、もう一時間はその映像を見つめ続けていた、映写室から確かに光は伸びていたが、映写機を動かしているだろう人間の姿は見つけられなかった、もしかしたら、フィルムをセットしてどこかへ行ってしまったのかもしれない、あるいは、フィルムの他にもセットするものがあったのかもしれない、でも、映写室へ出向いてそれを確かめるには、あまりにもこの映像にのめり込んでしまっていた、これを作ったのはもしかしたら、これをセットした人間なのかもしれない、いつの間にかそんな風に考え、すっかりそれを真実のように受け止めてしまっていた、蝋細工の偽物の人間はもう数えきれないほどの人生をその中で生きていた、溶けて広がっては蘇り、溶けて広がっては蘇った、待て、と、そこで初めて俺は気付いた、オープンリール・タイプのアナログの映写機とテープで、果たしてこんなことが可能なのだろうか?でもすぐに、アナログの作品をデジタルに落としたのかもしれない、と考え直した、結論としては妥当な線だったが、どこか納得することが出来なかった、少し長く見つめ過ぎたのかもしれない、この画面からはどうしたってそれがアナログであるという結論以外、生まれて来はしないのだ、そして、おそらくは随分昔から存在していたのだろうこのシアターの、古臭い造りのせいでもあるのだろう、それでも、俺の心は納得することが出来なかった、立ち上がり、映写室を覗いてみることにした、もうひとつの可能性、そこには初めから誰も居らず、人ならざるものによってこのムービーは映し出された…なんにしてももう充分過ぎるくらいスクリーンを眺め続けた、繰り返される場面には潮時というものが必要だ、そしておそらくは俺がなにかをしないことには、それを迎えることは出来そうもなかった―小さなライトを頼りに売店の側にある階段を見つけ、暗く短い廊下を歩いて映写室へとたどり着いた、そこには、動き続けるアナログの映写機と首吊り死体が、ひとつ…テープはすでに終了していて、しかも切れてしまっていた、何かの尻尾のように末端が一瞬長く伸びてはまた飲み込まれた、死体は半分骨になっていた、死体についての知識は無いが、そいつが死んでしばらく経っていることは理解出来た、そいつはこちらを窺いみるみたいに少しだけ顔をこちらに向けていた、あんたがこれを撮ったのかい、と俺は話しかけた、返事は無かった、当り前だ、俺は構わず話し続けた、いい映画だと思うよ、少し短すぎるけどね…あの人形もあんたが作ったのか?それとも誰かに依頼したのかな、これを撮ると決めた時には、もうそこにぶら下がる気持ちを固めていたのかい…俺も別にそんなことを話す気はなかった、ただこのまま帰ることになんとなく引け目を感じたのだ、すぐに話すこともなくなって―当り前だ、こいつがどんな人間なのかもわからないのに―俺は黙って映写室に立ち尽くし、首吊り死体越しに溶ける蝋人形を見ていた、どれだけの時間そうしていただろう、フィルムの末端がどこかに絡まったらしく、ポンコツ車のような音を立てて映写機は止まった、そして無理矢理に引っ張られたフィルムは伸び続け、機械は煙を上げ始めた、潮時だ、俺はシアターを出ることにした、入口のドアがおそらくは長い生涯で最後になるだろう軋みを上げた、やがてくぐもった爆発音が聞こえ、山中にいつからか取り残されていたシアターは火達磨になった、バイクに乗って山を下りていると、けたたましいサイレンを上げながらぶっ飛ばす何台かの消防車とすれ違った、程なく火は消されるだろう、そして俺は、あのムービーのことをしばらく忘れることはないだろう、紛い物は生き返ることが出来る、けれど俺たち人間には、死ぬことは一度しか許されてはいないのだ。



自由詩 この夢のどこかに Copyright ホロウ・シカエルボク 2023-08-21 18:27:30
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