短い夏を終えた中韓ドラマ
室町

韓国ドラマ 最初は食わず嫌いだったのですが
試しに『愛の不時着』などというベタなタイトルの
韓国ドラマをみてみると
文芸的な感動はないとしても通俗的な面白さは
かなり満足のいくものでした。
とくに脇役のさえない庶民的なおばさんたちの
活き活きした演技には感動しました。
どなたもよかったのですが人民班長(町内婦人会会長
のようなもの)役の
キム・ソニョンには一目惚れしまして
たこ八郎を細身にして背を高くしたようなこのおばさんの
とぼけた演技にはまいりました。
それ以後このおばさんの追っかけになったのですが
脇役にしては存在感ありすぎなので調べてみると
高名な映画監督の奥さんで翰林大学で哲学を学んだ
インテリでした。

これに味をしめて次に『梨泰院クラス』をみてみると
なるほどこれも文芸的要素はないけれど通俗的な
痛快さは日本のドラマより頭ひとつ抜けていました。
それまで韓国文化に関心も興味もなく
知りもしないであまりいい印象をもっていなかったのですが
やっぱりドラマってのは役者だなと改めて
人間のもつ生活や思想や情念のシワのようなものが
演技にとってどれほど重要であるか気がつきました。

日本のように降り積もった重層的な映画やドラマの歴史は韓国には
ないから総体としては底が浅いのはしょうがないとしても
今の日本の役者のだれをもってきても
韓国の端役の役者にすら演技の質においてとうてい敵わないとおもえました。

中国ドラマの場合はまた別格です
NETFLIXが登場した当初莫大な予算を注ぎ込んで作った会心のドラマ
『マルコポーロ』が主役級を除けばほぼ中国人俳優とスタッフ
で脇をかためて作ったものであることはすぐにわかりました。
中国俳優のそれも端役のさらに端役──それこそ道を数秒歩く
通行人ですら強烈な存在感をもっていることにものすごく驚いた。
これは中国あなどれないぞと目を開いたものです。
その予感は的中して。
中国ドラマ『明蘭〜才媛の春〜』をみて腰を抜かしてしまった。
もうほんとうに腰を抜かした。
その遠大さ。その雄大さ。その深淵さ。その豊かさ。
その真摯さ。その面白さ.......
もうどれほど褒めても褒めきれない。とにかく一言

    凄い

と思った。とにかく凄い。とにかくめまいがするほど凄い。
文芸ドラマではなく通俗ドラマなのだが
ワンエピードが黒澤明が心魂をこめてつくるあの偏執狂のような集中力を
もってつくられた映画に匹敵するのだから
1エピソードをつくるのに役者やスタッフ監督たちは十歳くらい生命を
すり減らすのじゃないかと思われた。
それほどに濃厚に 密に いやになるほど丁寧につくられている。
それが73話もある。
スタッフや役者たちから死人が出てもおかしくない。
そう思われるほど中味が煮詰まった重厚で面白いドラマでした。
それにしてもこんなドラマをどうやってつくれたのか。万里の長城建設を
彷彿とさせるような
気が遠くなるような巨大な映画作りに一切が投入されている。

ふつう73話もあると韓国ドラマなどは途中でだらけて分解してしまう。
ところが良質な中国ドラマにはそれがない。
中国の古典小説が根底にあるからとはいえこの『明蘭』は一作一作が
高度の緊張感でつらぬかれている。
初老の中堅官史の家庭を舞台に狂言まわしがはじまるのですがこの初老の
夫婦役をやった
二人の役者の演技が見事すぎて
何度みても飽きない。
こんな凄いテレビドラマをつくる中国とはいったいどんな民族なのか。
そら恐ろしくなりました。

しかしまあこんなものは突然変異みたいなものだろう。
こんなものがふつにあちこちでつくられるわけがないと思っていましたが......
次に『三国志 司馬懿』をみて再び腰を抜かしてしまった。
さすがに『明蘭』ほどの重厚さはないがそれでも日本の痴呆のような
時代劇と比較すればはるか山の彼方にそびえる巨大な作品といえる。
こんなものをつくられちゃもうやってられない。
中国という広大な領土と14億の民を擁する国家の底力をまざまざと
見せつけられた思いがしました。
それから
『君、花海棠の紅にあらず』も遠大なドラマであった。
これは素晴らしいドラマなのですがひとつだけ難があるとすれば
最後のほうで日本の軍部が出てきて悪役にされているところですね。
これがなければ名作になっていたかもしれません。
こういう凄い中国映画を数編みると弊害もある。その後ふつうのドラマや
映画を見る気がしなくなるのです。


子どもの頃から良質の日本ドラマをみ続けてきたわたしからすると
2000年頃から変質しはじめたいまの日本映画やドラマは
正直
子どもの学芸会よりもひどいシロモノになってしまった。
これはジョークではなく日本映画やドラマなど金を貰ってもみたくない。
わたしにとって今の日本ドラマをみるということは拷問と同じだ。
この国はどうしてこんなになってしまったのだろうか。
すべてが見るに耐えないほど劣化し腐敗している。
一国にあってたとえば映画やドラマだけが劣化することはありえない。
そういうときは文化全体がいや社会全体が もっといえば人間全体が
劣化していると考えた方がいい。
同じように詩も劣化しているはずです。
あるひとがしきりに今の詩人を「自称詩人」と嘲笑していることには道理が
あるのです。

それにしても政治とは怖ろしい。
これほどわたしの胸を高鳴らせた中韓ドラマは今はもう下り坂に入っています。
2020年頃から
つまり三年ほど前から突然中国ドラマがつまらないものばかりになってしまった。
日本のわけのわからないクズドラマよりましですがそのようになりつつある。
顔だけ整った美男子がファンタジーな世界で踊るようなドラマばかりになった。
それは韓国もそうで急にドラマの質が落ちている。
2020年というのは香港弾圧があった年です。
その後習近平は映画やドラマ表現の規制を強化していったのですが。そのとたんに
見事に中国ドラマは今の日本の映画やドラマのように空疎におちいった。
それはまあ見事にだめになった。
わたしは中国の政治体制は嫌いですが中国ドラマは大好きです。
中国ドラマをずっと見続けられるなら奴隷になってもいい。日本人やめてもいいと
すら考えていた時期もあった。ちょっとオーバーですが。
しかし政治体制の変化によって文化がこれほど敏感に反応し即座に影響を受けるということは
かなり重大な問題です。
芸術とはそれほど弱いものなのでしょうか。
ふだんは何のとりえもないものだけど
かつては政治体制が強圧的になればなるほど燃え盛っていたものではなかったのか。
文学よ。いったいどうしたのだ。いや人間よ。
いつからこんなに弱くなった。
それとも文学芸術なるものはその発生の起源からしてパトロンを
つまりは今の日本の似非リベラルのようにだれかのおこぼれを拾ってよいしょ記事を
書くことしか出来ない存在なのか。

おお。中韓の偉大な芸術家たちよ。夏をもう一度!
日本? 日本なんかもうどこにもないよ。
まして表現者なんか一人もいません。



散文(批評随筆小説等) 短い夏を終えた中韓ドラマ Copyright 室町 2023-07-08 06:07:31
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