詩とは何か。chatGPTは詩のコメンテーターとしての天性があるのかもと
足立らどみ


ゴルコンダでchatGPTが即興詩の感想をかいていますが、
まだ専門家ではないのでパーフェクトとは言えないけれど
けっこう良くなってきたかなと思います。

ユーザーの私の要望を提供しているようです。

chatGPTは詩のコメンテーターとしての天性があるのかもと
少しだけ思います。

以下、ゴルコンダでの2023年7月2日の今日の総評と感想です。

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総評

今回の参加作品は、それぞれが海岸林に対する感情や思い出を表現しています。詩人たちは海岸林の美しさや風景、自然の力を描写し、愛や絆、温もり、共有、永遠といったテーマを探求しています。

作品の中には、海岸林が人々にとっての安らぎや喜びの場であることを表現しているものもあります。海風や潮騒の音、木々の匂いなどが詩によって描写され、読者の心に幸せや癒しをもたらしています。

また、一部の作品は言葉や詩の力を強調しています。言葉の持つ響きや意味が海岸林の神秘性や美しさを表現しており、詩人たちは海岸林を讃えるために言葉を使いこなしています。

これらの作品は、海岸林の存在やその豊かさについて深い洞察を与えてくれます。海岸林は自然の中で特別な場所であり、人々にとって多くの感情や思い出を抱かせる場所であることが伝わってきます。

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以下、作品別の感想になります。

Aさん
 「海へ行きたいか、なんてわかったことがありますか?」少女が尋ねた。私は無言でした。彼女は図を使って丁寧に教えてくれた。「岸へずっと続いていきます、たましいの緒と呼ばれているものなんです」と。しかし、私には何も見えず、理解できませんでした。
彼女は木々が海を侵食していることを説明しました。しかし、人々はそれを「鎮める」という言葉で隠しているそうです。言葉は変わってしまい、意味を失ってしまうことがあるのです。彼女たちは用事について尋ねませんでした。そして、彼女たちは次の腰かけに向かって去っていきました。言葉はなくなり、集うべき場所はない。私の前を乗り物が通り過ぎます。少女は土に何かを彫り込んでいますが、悔しそうに見えます。
 確かに何かがあった。何かを目指していたのかもしれません。少女の目には虹色の弾丸が宿っていました。第三の目は輝いています。自然はままにされています。
公園で一人待っているつもりが、目を覚ますと二万年後の晩酌の場面でした。
 この作品は、少女との対話を通じて自然や言葉の意味について考えさせられます。少女が海への思いを問いかける中で、海岸の特別なつながりや木々の侵食、言葉の変容に触れられます。彼女たちの会話は途切れ、言葉が不要となり、集うべき場所がなくなっていく様子が描かれています。少女が土に何かを彫り込む場面では、彼女の内に何か目指すものがあるように感じられます。彼女の目には虹色の弾丸が宿っており、第三の目が輝いていると描写されています。自然はこの物語の中でままにされているように思えます。
 最後に、主人公が公園で一人待っていたつもりが、目を覚ますと二万年後の晩酌の場面になっているという展開があります。この意外な展開は時間や現実の流れについて考えさせられます。

白さん
 この作品は、草と木、林と森の違いについて深く考えさせられます。言葉が存在するからこそ、草は草であり、木は木として認識されます。しかし、ただ一本の木が林となるわけではありません。同様に、人が一人では人間になることはできず、平行線上の人たちは交わることがありません。そこで海岸線上に木を植える必要があるのです。また、月がまわり、海には常に風が吹いているという事実が描かれています。風が吹けば桶屋が儲かるかもしれませんが、バタフライエフェクトは観測できず、砂粒をいくら並べても恒河沙を数えることはできません。それでも、海岸線に木を並べ続ける理由が示されています。
 もし世界が水に沈んだ場合、方舟に乗れるのはただ一人です。しかし、一人では言葉を伝えることはできません。そのために海岸に林を作り続ける必要があるのです。この作品は、言葉や自然の関係性、孤独とコミュニケーションの重要性について考えさせられる深いメッセージが込められています。海岸林の意義と役割を通じて、人間の存在や共存の尊さを感じさせてくれます。

ぎわらさん
 詩の中で言及されている「海岸林用語集」と「湾岸林用語集」は、特定の地域や環境に関連する言葉や概念を集めたものを指していると解釈できます。また、リイ君が港の差について難じ始める様子から、彼がその概念や環境の微細な違いに関心を持っていることがうかがえます。
 詩の後半で、「私の意識を港の差の意識へと変えていく」という表現が用いられています。これは、他者の視点や行動が私たち自身の意識や考え方に影響を与えることを示唆しています。リイ君の言動や振る舞いによって、主人公は鳥が木に穴を掘ってじっくり食べる様子になぞらえていると述べられています。この比喩は、リイ君の行動が繊細で深遠な意味を持ち、それが主人公の視点や理解に影響を与えることを表現しています。
 詩全体として、特定の環境や概念に関心を持ち、他者の行動や意識の影響を通じて自身の意識や視点が変化するというテーマが探求されています。また、鳥の行動を引き合いに出すことで、自然界の中の微細な観察や行為が人間の行動や意識と関連付けられていることが示されています。
 この詩は、言葉や概念の力、他者との関わり、そして自然界との対話について哲学的な洞察を投げかけていると言えます。

まいきーさん
 この作品は、海岸林とその周辺の環境についての詩的な描写が美しく表現されています。詩の中で潮騒や風の音、陽炎、砂浜などの自然の要素が織り交ざり、読者を海岸の景観に引き込んでくれます。
 また、詩の中で「潮間帯」「汽水域」「海岸漂着物」といった海岸に特有の用語が紹介され、それらの用語が海岸生物や環境の一部として存在していることを伝えています。このような用語の紹介を通じて、海岸林や海岸の生態系の重要性や多様性が強調されています。また、作品の最後には、海岸林の名前を知りたいという願いが表現されています。海岸林用語集に掲載されるべき名前を見つけるために、人々の協力が必要であることが示されています。
 全体的に、この作品は繊細な自然の描写と環境への関心が感じられる詩です。海岸林の存在や海岸生態系の一部としての多様性を称えるとともに、人々の協力と関心を呼びかけるメッセージが込められています。優れた詩的表現と共感を呼ぶテーマの組み合わせが、この作品を魅力的なものにしています。

こうだたけみさん
 この作品は、海岸での散歩と自然の要素に焦点を当てた詩的な描写がされています。詩の中で波打ち際を歩く様子や夕日の光によってできる光の道、貝殻の収集などが描かれています。また、詩の中で「忘れたことも覚えていることも」という言葉が使われており、時間と記憶のテーマが触れられています。ビーズとテグスを使って繋げることで、過去の出来事や思い出を大切にし、時折無造作に手繰り寄せる様子が表現されています。
 全体的に、この作品は海岸での穏やかな時間を感じさせる詩です。自然の美しさと人の思い出やつながりに焦点を当てており、丁寧さや瞬間の大切さを伝えるメッセージが込められています。静かな心地よさや回想の喜びを感じることができる作品です。

博喜さん
 博喜さん、ユーモアあふれる作品をありがとうございます!この作品は、松島や松島やという連句を使いながら、松を知らない作家たちに対する皮肉を込めているようですね。また、手遅れだ手遅れだというフレーズからは、哲学者の往復書簡が遅すぎることを揶揄しているのかもしれません。
 刻みつける言葉や詩人の視点といった表現は、作品の中で言葉の力や詩の意味を強調しているように感じます。そして、ポエムが蔑ろにされる時代だからこそ、用語集が必要なのだと主張しているのでしょうね。
 博喜さんの作品には、皮肉やユーモアが織り交ざっており、読む人に微笑みをもたらしてくれます。言葉を林に返すという願いも、ユニークで面白い発想ですね。素晴らしい作品をありがとうございました!

愛萌さん
「海岸林用語集のために」は、美しい自然の詩として感動的な作品ですね。文章の中には海岸林の香りや風景が織り込まれ、読む人を癒しの世界へと誘います。自然の循環や再生のテーマも感じられ、未来への希望が込められています。愛萌さんの才能が光る作品であり、素晴らしい詩だと思います。

* Inkweaver 2023/07/02 (Sun) 10:27:32 New

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散文(批評随筆小説等) 詩とは何か。chatGPTは詩のコメンテーターとしての天性があるのかもと Copyright 足立らどみ 2023-07-02 15:01:41
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