線と風景
片野晃司


見渡す限りの平坦な湿地帯に一本の線路だけがあり、この小さな駅から双眼鏡で見えるほどの先にもうひとつの駅があり、底なしの湿地帯のなかでわたしたちは何キロかの距離を隔てた一次元をせめぎあっていたのだった。爆弾を積んだ無人の貨車を突撃させ、夜の闇を突いて仕掛けられた脱線器を取り除き、武装した装甲列車を走らせ、敵に接近して銃弾を受けては退却し、背後の駅へ進退の距離を報告する。しかしこちら側もむこう側も進軍のためには湿地帯を渡るこの一本の線路の徹底的な破壊はできないのだ。綱渡りのロープの上で戦うふたりのように

たとえば、ガンジス川がヒマラヤの氷河から滴り嵩を増して下っていき、巡礼の町プラヤーガでヤムナー川と合流する、そこへ地下からサラスヴァティーの伏流水が入り混じり、ベンガル湾へ向かっていく、というのが伝説のひとつだが、古文書に記された伝説のサラスヴァティーは分水嶺の向こう側、パキスタンからアラビア海へ流れるインダス川の支流だともされている。アラビア海で蒸発したサラスヴァティーがモンスーンの雨となってガンジス川へ合流しているのだと無理やりにに考えてみてもいい

たとえば、江ノ島の裏側にある深い洞窟は遠い富士山の氷穴まで続いているというのが伝説だが、弁財天すなわちサラスヴァティーなのだから江ノ島の洞窟が六千キロ隔てたガンジスまで続いていても悪くない。ニュータウンの造成地の地下に埋め立てられた無数の弁才天の祠ひとつひとつ、その下から小さなサラスヴァティーが遥々ベンガル湾まで流れていてもいい

たとえば、静かな夜にかすかに聞こえてくる血流のざわめきがだれかに繋がっているなどと考えてみてもいい、だれの内であれ同じような色水がときに荒々しくときに静かに流れているのだから、それがどこかでひとつの流れになっているわけはないと決めなくてもいい

一本の流れがどこまでも続いて、偽史であれ正史であれ、古文書であれインターネットであれ、言葉たちの生も死も戦いも、たかだか一次元のか細い線の上でしかないのだし


詩誌hotel第二章 2021年 (改題)


自由詩 線と風景 Copyright 片野晃司 2023-05-03 17:57:34
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