裏庭
由比良 倖
本たちが静かに歳を取っていく。
僕は白いプールのような一室で音楽に浮いていますが、
隣の宇宙であなたは今この瞬間、何をしていますか?
この眼で確かに見るようなのです。
ゴッホの、汚れた塗り絵みたいな室内には黄色が多くて、
寂しさの永遠性を象徴していて、僕にはそれはまるで、
世界の裏庭のように見えるのです。
(冷たいせせらぎの数々。)
神さまが作ったにしては綺麗すぎる世界の中で、
僕は一個のグリーンピースを転がしていました。
今この部屋にいて、ストーブは沈黙していて、
聞いたこともない、外国の汽船の音なんかが
懐かしくなったりします。
その船の旗や、ロープや、船の揺れることや。
電流のコイルの音や、亀の甲羅で占ってたことや、
言葉を初めて発した人のことや、黄色いトイカメラのこと。
煙草や薬が無ければ生きられない僕の境遇や、
昔買ったCDや、父に買ってもらって、
父が憎くなって壊した目覚まし時計のことや。
くだらないことばかりを。
しかしさて、無限の宇宙が無限に落ちていく中で、
水さえも古びていく宇宙の中で、
レコードのぱちぱち言うノイズの中で、
大地は要するに……
ダブリンの旅行ガイドを眺めながら、
ある程度は分かるなんて言わずに、
みんな分かってしまいたいのです。
(古いただの櫛を芸術だと言った人がいました。
デュシャンだったでしょうか、気が利いていると思います。
自然は美しくても、触れられないけど、
あなたの影であるあなたの櫛には触れられる。
出来れば僕は、あなたの枕を借りて眠りたいのです。
それは届かない夢の影。けれど心を温めてくれる。
信じて欲しいのですけれど、僕はあなたに何ひとつ求めない。
手を繋ぎたい。例えそれが夢の温度だったとしても。
手を繋ぎたくて右往左往していますが、
右往左往や躊躇いや戸惑いだけが僕なのではないでしょうか?
キスよりも微笑みが交流なのではないでしょうか?
例えば無口でも無表情でも、時に仕方なくみたいに、
無理にでも笑ってくれたあなたが、永遠に好きです。
嘘だと分かってて、コーヒーと砂糖と煙草で生きて、
花は嘘みたいだけど咲いていて、嘘みたいに綺麗で、
それなのに本当なので近付くと危険です。僕には。
喜びにも、悲しみにも、泣きたくなります。
思考にさえも、泣きたくなります。
つまり、こういうことです。
僕とあなたはめいめい気に入った定規を買って持っていて、
あらゆる物を不承不承測ったあと交換するのです。
顕微鏡をプレゼントしたいと思うけれど、それより
僕は僕の眼球をあなたにあげたいです。)
言葉と音楽は綿密な宇宙。
言葉と音楽で綿密な宇宙を構築しようとすることが、心の在りか。
でもそれだけじゃ足りません。
本当。
隣の宇宙で、今この瞬間、あなたは、何をしていますか?
ここで僕は書くことしか出来ないので、泣き崩れるのが落ちです。
心が踊る瞬間、
僕は踊りのステップだけをあなたに教えられます。
でもそれだけでも足りない。
グロテスクな話ですが、
最近、僕は自分の脳を食べたいです。
そしたら僕は泡になって、
透明でも不透明でもなく、
お家に、帰れるような気がしています。