湖の即興曲
リリー
ベランダ打ちつける雨音
レースのカーテン越し鳴り響くものが
西の空も
東の空も
緋色 噴き上げ
花火の様に開いていた
湖に ぴかっと光った一線が在るだろう
そこに連なる峰の優しさ
リビングに居てみえないが
それ故に 雨音の口ずさむ歌をきく
昨日と今日との間は
実は 無限に遠く
今でさえも、過去であるのだから
いかずち
遠退き
新たに思う春たつ日を。
*
湖が黒く泡立ち
ただ 風が鋭く鳴り
山がかき消されていく
ふと目覚めた真夜中は限りなくいいものだ
今も 未来もなく
唯、思い出だけが甦ったりする
誰かが 何処かで目覚めて
遠く昔の女の事など考えながら
煙草くゆらせてもいよう
或いは
同じ様に扇風機まわる暗闇に覚めている
まだ見ぬ 女の事を思っているかも知れない
わけても 夏の嵐の夜
ふりすてるべき過去にひしがれたひとには
このうえなく優しいものだ。
*
北を見れば 湖上の大橋
空の高さに驚いているのか一羽の
停空飛翔する鳶
湖畔の並木
あの朝
一本の樹が、
そこだけが厳しい色をしていた
秋、半ば
あの一本の樹のあしたの紅葉では言えなくなってしまう
あなたへのサヨナラ
石畳の道を歩む 一人
白い冬空に葉を落とした枝、ほろほろ
映るときがきても
この紅葉だけは心にとどめておこう
そう思えたから 投函してしまったサヨナラの手紙。
*
「焔の色はなつかしい色だ。」
老人は私の肩を抱いて言った
ほら、お前の様な若者には情熱を。私の様な年寄りには美しい過去を。
かつて夜の湖で
対岸の灯の教えるものを説いてくれ
私の道標を築きあげてくれた
老人は
冬を離れる事に
限りない哀しみを覚えると
毎夜 ダンロに薪をくべながら私を呼んで
話すでもなく 話さぬでもなく
常、一ときをすごす。
湖面に霧が立つ
冬には絶対に感じられなかった体中のしめっぽい けだるさ
老人は麻薬を嗅いだ様に寂しさの中にしびれ
心弱く 思い出す人の影を
晴れ渡った湖は薄青さを とり戻し
香気を溢れさせ
空も もう春だった。