150年
白書居

今日はよく晴れていて、スペースマウンテンに乗ってきた。
とても空いていたので3回くらい乗り込んで、馬の骨も、馬の皮もみてきた。
見上げると所々天井が剥がれてきてしまっていた。
ご機嫌な写真を一枚みつけて、
この館の展示のなかで私にとって一番のものだった。この気持ち。
わからない事ならたくさんあるけれど、誰がどう思うのか、何を知っているのか

扉の外は春の強い風が吹くのですっかり疎らになった桜がきらきらと散りばめられたり、
止んだかと思えばまた吹く風に舞い上がる砂が空をさっと黄色くするんだった。
堤と堀と石畳の通りを介してこの地を150年先の風が吹き抜ける。

わたしはきっと世界のあちこちに同じものがあるとおもっていました。
この国の中のそれぞれの地域にもきっとある。それぞれの場所に。
あんなに悲惨な戦争は世界のあちこちにあった。

ひとは何もない地面に杭を打ち立てて足場を組んで骨組みをつくり家を建てることができる。
そのような出来事を土地の神様が見守ってくださる間は私たちは暮すことができる。
何度でも水平線から太陽が昇るように。
そのようなことを感じた。

領主があって土地を治めていた時代の彼らの庭は整えられていたのかもしれませんが、
そうでないとしたならばどうしよう。

海の向うから船がこなければよかったのに。同じことをしてしまった。
両岸から波が押し寄せてくる。
お詣りをして、ところどころの枝が風でゆれるので、
これは私たちの時代で手入れをしなければいけないことだと感じるんだった。
状況から必然的な結果としてそうなのだろう。や、緑地の管理についての話です。

私は、天皇陛下も皇室の方方も私たち国民である市民もいっしょに
この土地に植樹をして100年先や200年先のひとたちの木陰を作ってくれる森が
作れたらすてきなことだと思った。
このことばを言うのにも幾度も波にさらわれそうになる。それでも、1人でそう考える。

ただ、コンクリートでかちかちに固めた土で本当に大丈夫なんでしょうか。
100年150年根を張りつづける樹を再び育てることができるんでしょうか。
土のエリアがしっかりないと良くないのではないかという気がする。
その種類や名前だけではなく、樹のことを本当によく知っているひとたちに話をきかないと、浅はかではありませんか。
そんな気がしたりもしてお詣りをしてきた。
ありがとうございます


散文(批評随筆小説等) 150年 Copyright 白書居 2023-04-12 04:33:24
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