桐島部活やめるってよ感想
モマリサ公


進路のことで悩んでたヒロキが神木に
「将来の夢はなんですか~映画監督ですか?」と聞くシーン
ファインダーごしに
高校生が記号的に世界をとらえるとこでぶわっとなった。
そのあとのヒロキの
「いいよ、おれは、いいって」
のセリフのなかに桐島がいままで立っていたポジションを
肉体、精神的にとらえることになってしまった自分
というヒロキの実感がリアルで、
さらにぶわっとなった。
そのままラストまでいくのだが真っ白の画面の中、
桐島への電話、野球部の声、
またこれ白というのが記号的でほんとよかった。
みなさんおもってたんじゃないかとおもうけど
最初はエレファント的技法で展開しながら
ゆるやかにずれていきゆるやかに物語がはじまる。
いろいろなカメラからの目線のなかで
自分のフレームをみつけていくところは
映画にはいっていきやすかった。
高校生のすっごいリアルな演技が「神映画」
神木くんの紅茶一気飲みではかすみとの展開をかんじれてわくわくした。
まあすぐあとにおわってしまうんだけど。
でも前半かすみの目線におもわせぶりなとこが多々あったようにおもう
ので気になってる存在であることは間違いないのではないか。
「俺たちはこの世界で生きていかねばならないんだから」
というセリフが神木がちゃんといってるとこにたいして
映画部員が棒読みでかえすところもよかった。棒読み=実感がない、
という公式が成り立っていたように思う。
「実感のなさ」という「実感」がこの映画にはあふれていた。
実感のなさという現実のなかで実態をもっていることに
抵抗をかんじたなんでもできる桐島が姿を消す事によって
カリスマをうしなったクラスメイトとバレー部が
秩序をなくしなににむかっていくのかわからなくなくなっていく。
決定的に
「不在の存在」
というものに向かいあう
そういう現実について
我々は考えざるを得ない
そういう映画であった。






わたしたちは映画をみているのではない。
とときどきおもう。
わたしたちは自分のコンディションを確認しているのかもしれない。
この日映画館にいた6人がつくばの状態を象徴している。


散文(批評随筆小説等) 桐島部活やめるってよ感想 Copyright モマリサ公 2023-02-02 18:44:30
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