キリエル人(きりえるびと・ウルトラマンティガ)
角田寿星
そのキリエル人は目醒めた。棲み処である次元の断層から彼の惑星を覗く。
邪神は斃れ時代は過ぎていった。ゲームの終焉? ――そんなことは無い。
二足歩行の躰を想起し思念だけの存在からキリエロイドに実体化する。
彼の惑星に通じる路を考えるとすっかりと古びた苔むした門が顕れた。
かつて地獄の門と呼ばれた禍々しさは過去のものとなった。惑星の側から
過分に湿った温かい風が吹き込み無色透明の水がキリエル人の膝を浸していく。
しずかだ。
視界が啓ける処まで歩こうとする。みどりのわずかな蒼穹の裂目を巨大な
烏賊が羽ばたき横切って往く。苔の丘に擬態した捕食者が待ち伏せして
突如として沸き上がり躰よりおおきな腔を開けキリエル人を呑み込んだ。
キリエル人は喰われながら捕食者の脳に接触を諮る。知性を認めない。
右手を挙げ力を篭めると捕食者の躰が歪に裂けて爆発する。四散する
捕食者の消化液を浴びながらキリエル人は振り返ることなく歩いて往った。
為すべき事は予め解っていた。
そのキリエル人は羊皮紙の文献の狭間に潜んでいた。キリエル人が人類の
前にはじめて姿を顕したさまが克明に記された書物は征服され焚かれた
修道院の書庫の奥深くに現在も喪われ眠っている。
そのキリエル人はあまりの高温に自らの肉躰を保つことが出来なかった。
思念だけの存在で爆心地の半島に向かう。3万5千トンの物体が減速もせず
地表に激突した災厄が惑星全体に及んでいた。爆風をまともに受けた個体は
瞬時に跡形もなく消えそれを免れた個体も植物は自然発火し動物は血液が
沸騰した。空を熱された雲が覆い大気は燃え地表温度は摂氏百度を超えた。
地は裂け極地の融けた波が襲い峯は瓦解した。
後の世の調査に依ればこの大災害で惑星上の体重20㎏以上の陸棲生物は
すべて死滅したと云われる。灼かれた大気を漂いながら夥しい生命の
慟哭を聴きキリエル人は深い哀しみを精神に刻む。躰は消滅していたので
嘆息も涙も叶わなかった。
そのキリエル人は人類から悪魔と呼ばれた。世のことわりで説明のつかない
事跡を執り行なう人でも神でもない者――想像力の欠如と嗤うには早計だろう。
人類もまたキリエル人にとって理解の範疇外にあった。
異端審問官は止め処ない幸福の波に翻弄され発狂した。権力者たちは同胞
からの搾取と簒奪に明け暮れた。民草と呼ばれた持たぬ者たちはその日や
明くる日の腹を充たす事に神経を擦り減らし一分一秒でも生き永らえたいが
故に夜明けを懼れ憎んだ。
そのキリエル人は視た。超高温の粉塵に塗れて巨きな銀色の翳が呆然と
立ち尽くすのを。この大絶滅は生命をいくつ持参しても贖える規模では
なかった。絶望に撃たれ震える巨人の背中。巨人の足下には赤い球体が
真っ二つに裂けて横たわる。キリエル人の思念が巨人の思念を抱き留めよう
として記憶が途絶えた。悪意なき悪の存在を認識した生涯幾度目かの
瞬間だった。
そのキリエル人の眼前にどうしても乗り越えるべき障壁が訪れた。
信じ難い事にそれはひとりの人間――光となったマドカ・ダイゴであった。
いくつかの選択肢があった。キリエル人の結論は人類の殺戮と洗脳
さらにはマドカ・ダイゴことウルトラマンティガの排除だった。
巨大化し闇夜にティガと対峙する白のキリエロイド。
膂力を増幅しティガと格闘する朱いキリエロイド。
翼を得て穹を舞いティガを踏みつける蒼いキリエロイド。
敗れて地に塗れ動かないティガの巨躯をちいさな生命が取り囲む。
光を! ティガに光を! 悲痛な叫びに感応し幾多もの灯が点っていく。
人類如きの放つ光でティガが蘇生する筈は無い
というのに。
そのキリエル人はひとりの老人をキリエル人の世界に招待した。
老人もまた顕れたキリエル人を悪魔と呼びキリエル人の世界を
地獄と称した。単純に次元の相異が為せる業である。三次元人の眼では
キリエル人の時空は視る能わざるものであり老人の視たくさぐさは
老人の創造を具現化しその網膜に転写したものに過ぎない。地獄の門も
また然りであった。
キリエル人にとって老人の望みを叶えるは容易かったし契約の魂を
欲しくはなかったが人類の魂自体に興味を持った。有機体の稼働停止
とともに精神が消滅し逝く瞬間 キリエル人は時制を延伸し
老人の思念を手に摂ってまじまじと観察した。
そのキリエル人は背後からの煌きに襲われ悟った。光に立ち遮り
光を駆逐するものは闇ではなく 更に目映く強い光なのだ と。
光の集合体がスパークしティガの躰が再び輝きを増すと同時に
キリエロイドの光は意味を喪った。ティガの両上肢が水平に開き
クロスした腕が発光する。
ゼペリオン光線。
未だ経験のない強い光を浴びキリエル人の躰は分解した。思念の
生命体であるキリエル人にとって肉躰の消滅は大した痛手ではない。
キリエル人に宿る光がティガの光に敗れ去った――これこそが重要な
意味を持ちけして消えることのない創であった。
そしてティガとは人類だった。
……キリエル人とは、外宇宙より来る精神生命体。(中略)地球の
人々はキリエル人の事を、それと知らずに悪魔という呼称で恐れ、
祀ってきた。
彼らは(中略)ホログラフィカルな時空の断層にその世界を構築
している。そして人間にとってそこは“地獄”と呼ぶ場所である。
キリエル人は“地獄の門”を開き、地球世界を暗黒へと塗り込め
ようとしていた……
(小中千昭・ウルトラマンティガ第25話シナリオ原稿より冒頭部)
そのキリエル人は惑星を見捨てると嘘を吐いた。負け惜しみだった。
邪神ガダノゾーアに敗れ石像に還ったティガの躰に閉じ込められた
マドカ・ダイゴの精神に向けて。
いくつかの選択肢があった。キリエル人には人類の存亡より大切な
ものがあった。邪神との闘いは彼らに勝利したウルトラマンティガ――
人類に総てを託した。キリエル人は自らに宿るけして矮小ではない
光を愛おしく両手に摂りいつまでも視つめやがて永い眠りに就いた。
そのキリエル人は目醒めた。邪神ガダノゾーアは斃れティガは去った。
人類が未だ存在するのかさえ訝しい。時空の狭間からいつしか視た
光景が広がる。キリエル人の世界を地獄と称するならばこの惑星もまた
地獄と呼びはしないのか。地獄に産まれ活き逝くことがすべての
いのちの宿命であるのならば――いや。 キリエル人には為すべき事は
予め解っていた。
振り返ることなく歩いて往く。彼のゲームを再び執り行うために。
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