エレキギターとの別れ
番田 

僕は去年エレキギターをメルカリの誰かに売ったのだ。中学生の頃、親に買ってもらったギターだった。同じ中学のクラスメイトに有名なバンドのメンバーがいたことはいらない思い出。でも、僕はギターで、何を弾くわけでもなく、いつの間にかホコリを被らせて、そのギターを物置につっこんでいたことをよく覚えている。僕はギターよりも近所の川にブラックバスを釣りに行くことのほうが忙しかった。何かを弾くということは、目的が無いことには難しいし、それについて考えることはできなかった。音階を理解して僕が作曲をやりはじめたのは、DTMが最初だったと思う、ヤマハのソフトのサイトに投稿サイトがあって、そこにアップされている色々な曲を聴いていると、うまい曲とへたな曲が確かにあって、その違いを楽曲データをダウンロードしながら研究していた。それは、その、エレキギターを買ってから10年後ぐらいだっただろうか。売値は1万五千円ぐらいだっただろうか、丁寧なお礼の返事がギターの買い手からは来ていて、僕はその金でAKBのメンバーの写真集を手に入れたのだった。


街は今日も、夕方からひどく冷えていた。DTMを覚えた僕は色々なスタイルの曲を作っていたが、自分にはできないことが確かにその世界にもあって、ブルースやダブ、ポップスの曲など、できないものはできないということを痛感していた。音調がどうしても固くなってしまうのである、そのようなこともあって、いつの間にか僕はDTMもやらなくなってしまったが、そのようなソフトがなかったらそのような境地自体にたどり着かなかったと思うと考えさせられるものがあった。特にドラム入力は楽しく、ネットの譜面を参考にしながらいつもこだわって作っていたものだった。


思うことはもう、特に何も無かった。アパートのゴミ捨て場に時々捨ててあるギターや譜面を見かける時がある。もう、その人が必要とはしなくなったものなのだろう、でも、前のアパートのゴミ捨て場で僕の持っているアコギも、拾ってきたものだった、なぜ人はギターを弾きたくなるのだろう、それをそして手に入れようとしたり、部屋に飾ったりするのだろう。カラオケに行って歌いたくなることがある、冬の乾燥した頃になると、自分のイメージした音階をたどりたくなる、喉を震わせて、でも、特に歌いたい曲も、もう、でも、暇を持て余した仲間もいるわけでもなく、マンガを立ち読みして、家に帰るだけだった。


散文(批評随筆小説等) エレキギターとの別れ Copyright 番田  2022-12-09 01:16:45
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