水色のノート
番田 


僕は時々、詩を書こうとする。しかし、それはたやすくはないということを、でも、僕は知る。高校の頃、そして、ノートに詩を書いていたことがあったことを思い出している、今では捨ててしまったノートには、そこにどんな詩が書かれていたのかと思う。僕のグラウンドで見た景色なのか、それとも、それは、クラスの、運命的な出会いの介在していたかのような…、その、誰かのことだったのだろうか。時はわからないうちにずいぶんと流れたものだった。僕のMDプレーヤーからは暗い音楽が流れていた。今の音楽プレーヤーに比べると大きくかさばるものだったが、それは、音楽における音質としては強度における鋼鉄のように高いものだったように思う。僕はプロディジーやレディオヘッドが流行っていて、僕は聴いていたが、その、でも少し前はブラーとオアシスが流行っていて、僕は店でよく流れていたことを記憶しているのだ。僕のポケットにちり紙が入っていたあの頃の、でも、故郷からは友達は姿を誰も消していったものだったが、過疎化の波に街はのまれていたのかもしれない、東京はどこもそんな気配は無かった。


僕は時々今でも詩を書いているのだ。地球の歩き方の、メモ欄に、機内で綴っていた言葉は一体何年前のものなのだろう。薄く、古文書のように読み取ることのできない文字を、解読しようと試みる。学校を出て、働き始めてから親交のあった人たち、それから、もう、なくなった人たち。ツイッターで時々検索する、顔も知らない誰かのアカウント。その確か僕と歳は同じぐらいだったような気がする。覚えていたのはだからだった。七月のはじめ、サーフスポットと呼ばれる場所での海水浴。気温は暑すぎるぐらいだったが、まだ、海水自体の温度は上がっていない。そして、少しだけそこで泳いでいた時の記憶が脳裏にはあった。コロナウイルスに感染して上下を繰り返していた体温は、長期間で、いつまで続くのだろうという記憶には不安があった。


ツイッターを開くとサブスクに関しての是非がそこで問われていたのだ。是非も何も、すでに利用しない手はなかった。音楽に関してだけは、作り手からの非難の声が上がっている。しかし、ソフトウェアに関しては、コピーされないので助かっているように思えたのだ。我々は音楽の売買における物体の必要性についてを考えなければならない。飲食物は、物体が介在して初めて成立するビジネスである。保険に関しては今も昔もそこに存在するのは数字だけであって物体は介入しない。これからもCDプレーヤーと呼ばれるものが存在し続けるのかということについてを考え直す時が来ているのかもしれない。



散文(批評随筆小説等) 水色のノート Copyright 番田  2022-09-21 01:09:25
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