イマ腎
ゼッケン

地下駐車場に止めてあった高級外車にガソリンをかけて火をつける
三つ又の銀色のエンブレムがボンネットの先端についている
メルセデスベンツぐらい、クルマに興味のないおれにだって分かる
炎が上がり、熱を感知した天井のスプリンクラーが次々に激しい水流を噴き出させる
警報音と警告ランプの点滅に周期のずれがあり、相殺と相乗から成る唸りが熱的に死んでいた地下の閉鎖空間に昂りを生んだ、おれも気分がよろしくなってきた
おれは都市の地下の祭壇で護摩を焚き、人工の滝に打たれて身を清める
家族はまたかとあきれ顔になるだろう
自分のクルマに放火する癖がおれにはあるのだ
ときどき、おれは自分の経済力がたまらなく穢れたものに思える
手に入れるために熱中した、しかし、
手に入ったものは捨てたくなる、そうやって行は完成する
もちろん、ただのまねごとだ
犠牲にできるものしかおれは壊さない
家族を傷つけたりはしない
なによりおれは、
自分自身を傷つけようとしない
ふたたび取り戻せることが分かっているものにだけ傷をつけて
ほどよい喪失感を味わっているに過ぎない

おれはコンクリートの床にできた水たまりの中に仰向けに寝転がり、
高い天井から水を噴き出しつづけるスプリンクラーを眺める

後悔するための愚行だ
無駄なことをしている
家族にもビルの管理会社にも叱られる
世界は自分のものではない
仰向けのまま、腕を横に伸ばし、コンクリートの表面を流れる水に掌を立ててせき止めてみる
それから滞った流れを払う

炎が鎮まり、飽きたおれは立ち上がって地上へのエレベーターに向かう
おれの全身からガソリンの匂いが混じった水が滴り、エレベーターの床を濡らす
地上も火の海だ
上昇が止まり、扉が開く瞬間のエレベーターの箱の中でおれは
もちろん、地上が廃墟になっていないことを知っており、
破滅の予感が裏切られたことに安堵する自分を想像して安心を先喰いする
おれは安心中毒患者で
好んで悪夢を見て絶叫するのは
自分が目覚められると信じ込んでいるからだ


自由詩 イマ腎 Copyright ゼッケン 2022-09-19 09:58:30
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