平和 夢の階段
室町

  わたしは夢の国日本が全世界を幸福と平和に導く階段を
  どのように登るかを教えてくれることを期待しています。
  たとえゆっくりした足取りでもそれを登ることによって
  人間がもっと人間になれる階段、天と地をつなぐ階段へ
  と導いてくれる昔からの習慣と伝統を日本が依然として
  守っていることを願っています。
  (ウクライナの女子高校生マリーナさんから当時の
ウクライナ大使馬渕睦夫氏へあてた手紙より)

日々、仕事や読書、炊事、洗濯、恋愛、金儲けなどに忙しい皆さまにとっては
まったく思慮の外のことかも知れませんが
じつはわたし、今から20年ほど前に起こった9.11事件以来、ずっと怯え続け
ているのです。
あの事件では3000人ほどの方々が犠牲になったのですが、あれをわたしは当時の
ブッシュ政権が行った内部犯行だとみていまして、あれほど邪悪なことを平気で
仕出かす米国のネオコンとはいったいどれほど精神を病んだ集団であるのか想像を
絶しておりました。それ以来、次はもっと大規模なことを仕出かすだろうという怖れを
ずっと引きずっておりまして
まあ、ヒマなやつだといえばヒマなやつですが、
それが今回の人為的なコロナ騒動であり、米ネオコンが遠隔操作をしているウクライナ戦争へとつながるわけです。

巨大寡占資本の手下である米ネオコン政権の最終目標は飼い主さまの巨大寡占資本が国境や国家を超えて世界を一括的に統治することにあります。
これがダボス会議で決定された「グレートリセット」といわれる宣言の真の中身ですが、
最終的には国家の存続要件である国軍の廃止とそれに代わる巨大寡占資本による私兵の創設が目的です。
まあざっくばらんにいえば「グレートリセット」とは、もう一度世界を特権階級が支配していた中世に戻そうという狂気の構想です。
別に驚くことはないわけでして、ここまで富の一極集中、寡占化が進むと、巨万の富を持つ者は全能感を覚えるものです。そこらのホームレスと同じ法的制約に縛られることへの不満。そのことに我慢できなくなってきても不思議ではありません。
超富裕層に対してもホームレスと同じ法的制約がある。たとえば投票権は一票、人を殺せば裁かれる等の法的規制を果たす国家を廃棄して、寡占資本家が自由に振る舞える世界へ作り直そうとダボス会議の、金のせいで頭の狂った方々が考えるのは自然の成り行きです。
今回のウクライナ騒動では米ネオコンの傭兵が小国の軍隊を越える規模で山のように蠢いているのをみてもわかるとおり国民国家成立の要(かなめ)である国軍が否定されつつあります。
巨大寡占資本が目論むこのような動きに反対を唱えるのが非G7国家、インド、ブラジル、ロシア、中国など巨大な領土を持つ大国です。非G7国家は国民国家を死守する。とりわけロシアは現在のロシア的民主主義の砦を絶対に崩さないと宣言しています。
欧米日のメディアはロシアが独裁国家だとしきりにデマを流していますが、現在のロシアは米国よりはるかに民主主義的な独特の国家体制の国であることをあのソルジェニーツィンも認めていました。ソルジェニーツィンはプーチンとは心の友であったといわれており、そのせいで欧米での評価は地に堕ちたのですがプーチンはソルジェニーツィンの著書を全国高校生の必読書に指定しています。
日本の安全保障を確立するためにそのロシアと平和的な距離を保とうと手をつくしていた元総理の安倍晋三氏は米のユダヤネオコンにとってトランプの次にまったく目障りな存在でした。
なに、9.11で米国民を3000人も平気で殺す連中のことですから、安倍晋三氏ひとりを暗殺することなどなんでもない。
そして
まあ、事実をいえば虫けらを踏み潰すように安倍晋三元首相は消されたわけです。
ヤマガミという愚かな精神疲弊者をまるで英雄のごとく称えるサヨクリベラルが跋扈していますが、
極左活動家の映画監督、足立正生氏はヤマガミをヒーローとして讃える映画をはやくも作って国葬当日に上映するらしいですね。
ウクライナの少女が日本人に託した手紙を見てもわかるように、世界にとって日本は「夢の国」なんですよ?
中国には「精神日本人」という合い言葉のもとに日本を夢見る少女たちがいっぱいいて、規制をものともせず必死で日本を思っている。それは韓国でも同じです。韓国人の日本ヘイトなんてマスゴミが作り上げた幻想です。分断と対立によってアジアを統治するのが米ネオコンの手口なんです。ほんとうは日本にあこがれている若者や少女がいっぱいいる。アフガンでも台湾でもベトナムでもフィリピンでもそうです。
日本は「夢の国」なんです。そういう国に住んでいて、この足立とかいう自称映画監督はこんな映画をつくっている。
それで世界中の若い心が日本に願っている天国のような平和への階段をのぼれますか。
わたしはテレビ新聞を一切見ないのであのテロ事件が統一教会がらみ一色で語られていることを最近までまったく知らなかったのですが
統一教会が自民党を支配していた? わははは。落語より面白い話だとおもいますよ。
でも、もしそうだとしたら傑作だ。ああ、確かにありえない話でもない。でも、
そんな与太話にページをさくつもりはありませんのでもとに戻りますが、安倍氏銃撃事件ですけど、
そもそもあれは単なる銃撃事件ではないことをここに記しておきたいとおもいます。
凶器にナイフや拳銃、あるいはライフルが使われていたのなら安倍氏一人を狙った犯行だといえますが、
使用されたのは1発の銃弾から6個の弾丸が無作為に四方八方へ飛び散る手製散弾銃でした。
その銃から2発放たれている。計12発の弾丸がところかまわず飛散したわけです。(
ところかまわずといっても手製のデタラメな散弾銃ではなく正式な散弾銃だったら一定の拡散範囲がありますけどね)
向けられた銃の方向には安倍氏を囲むように運動員や警備警察官13人が取り巻いていました。したがってこのテロ行為は安倍氏だけを狙ったものではなく、かれを取り囲んでいた13人が死傷することも視野に入れた大量殺人未遂事件であるといえます。
被害者は、じつは安倍氏を含む14人なのですが、
なぜか奈良県警やマスゴミ(Presstitute*)は安倍氏一人に対する銃撃事件として始末しようとしています。
 
*Presstitute(プレスティテュート)とはPress(記者、記事)と
prostitute(売春婦)との合成語で、巨大寡占資本権力に媚びた記事を書
く現在の腐敗したマスコミのことを指します。
日本語でいえば「マスゴミ」のことですが世界では今や新聞やテレビの
記者は売春婦と同義です。

もとい、
今回の事件は法律的にも大量無差別殺人の構成要件が成立しています。
しかしまったく捜査の埒外なのですね。
マスゴミ(売春婦と同格の新聞テレビ)もそれをいわない。これは驚愕すべきことです。
それにしてもこの13人には不思議なことが多い。
どうしてこの13人は無傷でありえたのか。そもそもこの13人がそこに居合わせたのは偶然なのか。
それだけではない。奇妙なことにabe氏を死に至らしめた銃弾がみつからないというのです。しかもそのみつからない銃弾探しをわざとらしく始めたのは事件から5日もたってからのことだった。もしこのままみつからないならヤマガミが撃った銃弾によって安倍氏が死んだという証拠の弾丸は、裁判で提示できないことになります。
そもそも手製の散弾銃などヤマガミがつくる必要などなかったのです。かれは逮捕歴や犯罪歴がなかったのですから、
公安委員会に申請して講習さえ受ければ猟銃やライフルの所持資格を得られました。それに、そもそも散弾銃はあまりテロに向かない。
どこへ飛んでいくかわからない散弾などで暗殺など考えるでしょうか。たしかに弾丸数が多いから相手に何らかの傷を与えることはできる。しかし、それならなぜ安倍氏をとりまいていた13人にはかすりもしなかったのでしょうか。そのくせ、安倍氏にだけは正確無比な致命傷を瞬時に与えている。
考えてみればおかしいことばかりです。
奈良県警のわざとらしい怠慢によってテロが起こり、奈良県警のわざとらしい怠慢によって殺人事件として公判が維持できるのかどうか疑わしい事態が生じている。
とはいえ、哀れな精神疲弊者を装うヤマガミが殺人の直接実行犯であるはずがないことはわたしも承知してます。
何度もいうように計、12発の散弾が至近距離から撃たれていたら13人の中のだれかの衣服、あるいは身体を1発くらいは銃弾がかすめていたはずです。
それが安倍氏だけに致命傷を与え、彼以外のだれ一人、かすりもしていないことなどありえない。要するにヤマガミが撃ったのは実弾ではなく空砲であったと考えるのが論理的であり、現実と符合するリアルな認識であると判断します。
じゃあ、なぜ散弾銃などという騒音と噴煙だけはやたら派手に上がる銃をつくって空砲を撃ったのかというと、それは衆目の関心をヤマガミにそそぐためのフェイクであって
安倍氏に致命傷を与えたのは他の原因、おそらく他の銃撃による可能性が高い。9.11と同じく陰謀論として退ける人がいるかもしれないが、陰謀論であろうがなんであろうがわたしには関係ない。わたしは論理的な推論の過程を述べればそれでいいだけですから。

それにしても、この事件に関するサヨクリベラルたちの発言も矛盾に満ちていました。
安倍氏がどれほど憎くても、安倍氏の存在だってささやかなひとつの生命です。
死刑反対で有名な小説家で、詩人でもある辺見庸氏は安倍氏の処刑を「あの死者は凶相であった」と自分のブログに書き、
遠回しにあのテロ(私刑)を肯定し、安倍氏の死をあざ笑っていましたが
だれであれ人の命は大切だというのならあの処刑にも抗議すべきじゃないでしょうか。
過激派の死刑には反対でも嫌いなやつの私刑はOKなのか。都合のいい死刑反対だ。
一部のサヨクリベラルは容疑者山上の「減刑」まで乞うている。
あのとき駅前にはかなりの人だかりがあって横断歩道には多くの通行人がいた。一つ間違えば大量の死者が出ていた可能性がある犯行です。一般市民の命を屁ともおもわない冷徹で残虐非道な凶行でした。
その容疑者を、裁判もまだはじまっていないのに減刑の嘆願をするということは、自分たちの憎悪の対象が殺されるのなら一般市民が死のうがどうなろうが平気ということになります。
サヨクリベラルは人の命をなんと考えているのでしようか? 
辺見庸氏よ? お笑い芸人と一緒にabe氏の死をお笑いのネタにして笑い呆けていた山本太郎氏よ? その他、それにつらなる香山リカとかいった精神科医よ。戦争大好き耄碌バイデン=ネオコン政権を称える内田樹氏よ。
こんな方々が推す政党がもし政権をとったらすぐに人殺し(戦争や思想犯の逮捕投獄)がはじまることは間違いありません。これだけは太鼓判を押します。
そういえば先の民主党政権で日本はどれほど疲弊したか。消費税を法律化したのも民主党の野田政権でした。サヨクリベラルが憎む安倍氏は政権を奪還してすぐに
2回にもわたって消費税増税を拒否したのですが、結局、巨大資本の走狗であるマスゴミやサヨクリベラルたちのせいで3回目には増税に踏み切らざるをえなかった。そうしなければ政権の座からもっとはやく降ろされていたか、もっとはやく殺されていたでしょう。もちろん背後には米ネオコンがいたわけです。
統一教会? わたしは嫌いですが、でも。どこからそんなものが出てきたのでしょうか。あの大量殺人未遂事件とどう関係があるのでしょう。
銃撃事件の核心に触れることを避けるための言いがかりとしか思えないのですがね。
そもそも統一教会が公的に宗教法人であることを否定されていないのならとんでもない特定宗派攻撃が続いていることになります。これもまた今回の事件の不思議のひとつですが
その不思議にだれも首をかしげない。
サヨクリベラルは国葬や統一教会のことばかりやっているけどそんな些末なことより大事なことが山ほどひかえているのですけどね。
とはいえ今回の出来事を冷静にふりかえってみると、
あるいは「日本の敗戦」という物語の最後の頁をめくるには77年が必要だったのかもしれないことがわかります。
ほんとうの降参と服従をみせつけた白昼の惨劇だったといえるのです。
いまのおいぼれバイデン米政権の背後にいる巨大寡占資本家たちの犬、ユダヤネオコン。その中心人物、人面獣心の化け物、
米国務次官ビクトリア・ヌーランド氏が安倍氏が撃たれた直後用もないのに日本にやってきた。
この方は巨大寡占資本家たちの番頭で(唯一、就任中戦争を起こさなかったトランプ政権以外の)米政権に必ずいて、地球上のあらゆるところで戦争や虐殺を起こさせた張本人、真の狂人です。
ひょっとすると来るかもしれないと思っていたらほんとうにやってきたのでわたしは呆気にとられました、なんという鉄面皮か。
「よくやった」と日本の工作機関やスタッフをねぎらったのか。
それとも、どこの国の元首であっても逆らったらこうするぞとドスをきかせたかったのか。
ついでに岸田首相を呼びつけて、いらぬことをしないように釘を刺したかもしれません。命令に逆らえば次はお前だというわけです。

政治家が日本のことを思い、平和を維持しょうとすれば虫けらのように消されるわけです。もちろん安倍氏はとんでもない法律を次々に可決させましたし、仕方なく「売国奴」の竹中平蔵を優遇しました。もちろん安倍氏の意思ではなく米ネオコンから押し付けられたのですが、それは日本を平和に保つためにどうしても渡らなければならない苦渋の選択だったと考えています。事実上、米国の統治国である日本において政治とは、口先だけで戦争反対といって平和を守ることができないのです。泥まみれになって危うい橋を渡らなければならない。それが唯一、現実的な平和を守る方法だった。それを安倍氏はどろどろに穢れながらやってのけようとして日本の真の統治者米ネオコンの逆鱗に触れてしまった。
サヨクリベラルファシストたちがどれほど大声で安倍氏を罵ろうが、この政治家はのちに必ず正当な評価をえるでしょう。
泥まみれになってもこの国の平和を維持しょうとつとめた真の政治家が虫けらのように消された今年の夏ですが、ネオコンにとって平和を守ろうとする日本人の動きを封じるには最高の季節だったでしょう。平和をなし崩しにするには、口先だけで戦争反対といっているのが効果的だ。アベガーといっているのが効果的だ。サヨクリベラルとは、巨大寡占資本の提灯持ちです。
あいかわらずセミがうるさく鳴いています。
気ぜわしくハメツ、ハメツ、ハメツと鳴いている。
心配しなくとも安倍氏をあざ笑うこの国はあと十年ほどで完全に終わるでしょう。

  馬渕睦夫大使へ手紙を書いた女子高生は当時高校2年生で17、8歳だった。
  どうして冒頭のような手紙を書いたのかというと、川端康成の『千羽鶴』を
  ウクライナの高校2年生が教わっていたわけですが生徒の感想文を先生が馬渕
  大使のもとへ届けた。実は手紙というより感想文というのが正しいのですが、
  この女子高生マリーナさんの手紙は、
  2005年のことですから今では結婚して家庭を持ちお母さんになっている
  かもしれない。
  しかし残酷なことに目下のウクライナは地獄です。
  アメリカユダヤネオコンが仕掛けた"遠隔操作戦争"が残忍なのは
  戦争の主体は遠く離れた地でコーヒーを飲みながらゼレンスキーという頭の狂った駒を動かせるが
  ウクライナとロシア国民の血は果てしなく大地に流れるところにあります。
どうしてゼレンスキーが狂人であるかというと自国民を人質にとって戦っているからです。わざと自国民の人口密集地に作戦本部を立て、ビルの地階にウクライナ住民を拘束してロシアが攻撃すれば一般人が死ぬように仕向ける。よってロシア軍はなかなか攻められない。そういうことばかりしている。
  こんな戦争をウクライナによる「正義の戦争」といって煽り立てる無知低能 アホ 能無し 狂人がこの国にあふれている
  亡くなったソルジェニーツィンが、かなたのかなたから夢想していた世界覇権勢力=巨大寡占資本に対する人類最期の戦いは
  プーチンによって受け継がれ、いまはじまったばかです。
  ウクライナで虐殺されつづけるロシア人やウクライナ人を救ったプーチンは欧米日のニュースや情報とは真逆にロシア、ウクライナ両国民から絶大な支持を得るに至っている。 日々この国で延々と流されるウソ、デマ、フェイク これが果たして人間の国といえるでしょうか。
  欧米日の資本家の思惑とは違って、実際には、プーチンはロシアのみならずスラブ民族の英雄となった。
  この戦争は長く長くつづくでしょう。
  正義を標榜する邪悪との戦いなどファンタジーの世界のものかとバカにしていましたが、そうではない。
  多文化、多民族共生を掲げるプーチンの思想や精神はウクライナのマリーナさん
  がいうところの「平和への夢の階段」をゆっくりとのぼっていくだろうと信じています。










散文(批評随筆小説等) 平和 夢の階段 Copyright 室町 2022-09-16 02:41:23
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