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ホロウ・シカエルボク


心理の奥だけで生成される言葉がある。

それはおよそ会話の中で表現されることのない領域であり、わざわざ潜らなければ掬い上げることなどまず不可能なものである、深海魚のようなものだと思ってもらえばいい。しかも、捕まえようとすると砂に潜ったりする、砂に汚れる海底を懸命に捜索して、結果手にしても最初に見たものとはまるで違うものだったりする―二、三度そんなことを繰り返すとなにを探していたのかさえ曖昧になってしまう。息だって続かなくなる。人工的な補助があろうとなかろうと。詩作という行為をわたしなりに嚙み砕いて話すとそういうことになる。そういう行為を何十回何百回と、思考が必要ないレベルで繰り返して練り上げられるものが詩である。文字の上だけで伝えようなどと思ってはいけない。それはもっともやってはいけないことだ。メロディーにならない音符を楽譜の上に好き勝手に置いていくようなものだ―ここでいうメロディーとは言うなればイメージだ。いくつかの言葉を連ねることで、もともとの言葉だけでは喚起しえないイメージを生み出す。そうした工程が必ず必要になる。言葉単体の意味に頼ってはならない。それはひとつの意味でしかない。工程が複雑化すればするほど、イメージもそうしたものになってくる。そうすると伝わらないのではないかと書いている途中で不安になるかもしれない。でもそんな心配はする必要ない。どのみちひとりの人間のイメージがそのまま誰かに伝わるということなどまずない。文章において発生する共感、共鳴というのは、その断片、あるいはその誤解によって成り立つものだと考えておくべきだ。

それでは書くことに意味などないのではないか?

そんな意見にはこう返したい。その意味を誰が決めるのだ?
イメージというのは自由な言語だ。言葉の上で理解するよりもずっと深く受け止められることが出来る。そして、なにかしら急かされるものがあって連ねられる言葉が持つイメージというのは、基本的に同じ世界を描いている。つまり、断片が伝わることにはきちんとした意味がある、ということだ。書くものと、受け取るものの価値観は同じではない。仮に受ける側が、書く側に回ることが出来る相手でも同じことだ。書くものにとって、言葉は書くことに意味がある。受け取るものにとっては、受け取ることに意味がある。さあ、もう一度聞こう、その意味を誰が決めるのだ?
意味などまるでないとも言えるし、意味でしかないと言うことだって出来るのだ。言っただろう?イメージは自由だ。

わたしにとってイメージを奔放に羅列するという行為は欲望だ。欲望の意味を云々することなど無粋ではないか。主観、客観など上っ面のこだわりだ、所詮人は自分以外の誰かになることなど出来はしない。数のデータに従って書くことを正しいと思うならば、それは、肉屋や電気屋の広告と同じようなものだ。人間はひとりで存在することしか出来ない生き物だ、ならば、その内にあるものを可能な限り曝した方が面白いではないか。言葉遊びをしたいならそうでなくともいいだろう。車座になって、ひとつひとつのフレーズを上げ連ねて、各々の解釈を持ち寄って文化人を気取る遊びだ。でもそんな言葉の連なり、家に帰ったら忘れてしまっているだろう。それとは目的が違うのだ。少なくともわたしは言葉を使って誰かを釣ろうとしているわけではない。

人を表現に動かすイメージの根源というのは、きっとひとつの巨大な球体のようなものだと思う。我々はそれぞれがそれぞれの手段で、その巨大なものの欠片を描こうとするのだ。それが音楽であろうと、言葉であろうと、映像であろうと、絵画であろうとだ。放電するそのものではなく、電線や受信機のようなものなのだ。宗教のことを考えてみて欲しい。この世界には無数の宗教がある。同じ神に祈っていても、宗派によって様々なしきたりがある。ある神の言うことが、ある神の中では間違いだと言われる―しかし、神を信じ、祈るという基本だけを抜き出して考えれば、宗教というのはひとつだということが出来る。もしも、神に祈らない宗教があるのなら誰か教えてみて欲しい。黒魔術?神を否定するということは神を信じることが前提なのではないか―?

つまり、「自然に」ということだ。こだわりを捨て、精神を解放して、そのとき指先が動くままに任せる。そうすることでイメージは上質になる。表面上では難解なものに見えても、イメージはきちんと届くだろう。素直さ、正直さというものはそう言うことではないだろうかとわたしは思うのだ。いささか蛇足になってしまうが、愛について語るものよ、正義について語るものよ、友達について語るものたちよ、君たちは子供に宿題を急かす母親のように、言うまでもないことをわざわざ話しているに過ぎない。一度こうしたことについて考えてみて欲しい―もちろん、その上であなたたちがそれを選択しても一向に構わない。最後にもう一度だけ繰り返す―イメージは自由なのだから。



自由詩 Free Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-09-11 22:13:51
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