答えは風の中
ホロウ・シカエルボク


ふかふかのベッドに仰向けに寝転んだまま昼過ぎまでなにもせず、時折脳裏を過る残酷な妄想がひとつくらい本当になればいいのにと罪深い遊びに浸り、それに飽きて起き上がる頃にはもう日は傾き始めていた、大きな欠伸をして、丁寧に顔を洗う、明日の予定がなければまだ寝ていられた―おそらくは二、三日くらいは、余裕で―いつだってそう、永遠すらつかめそうな気分の時にはなにかに横やりを入れられる、そしてそれは、必ず良識ぶった顔をしている、ヘアバンドで髪を上げて、肌の様子を確かめる、そんなことをするくらいなら早く起きればいい、ごもっとも、でも体重を気にしている人がみんな食事制限をするわけではない、そうでしょ?惰眠を貪るくらい好きにやらせて欲しい、太った人は時に周囲を不快にさせたりするけれど(特にこんな暑過ぎる日が続く夏には)、長く眠ることが誰かに迷惑をかけるわけじゃない、近頃の善意や常識は軽く境界線を飛び越えて来る、昔当り前に守られていた暗黙の了解なんかとっくの昔にどこかに行ってしまった、あらゆるものがあっという間に手に入れられるようになると、人間は頭を使わなくなる、見ているだけで涎が止まらなくなるようななにもかもが分厚い本当のハンバーガーよりも、薄っぺらいものをシステマティックに積み重ねただけのすぐに出て来るハンバーガーの方を選んでしまう、どうしてそんなに時間が必要なの?そんなものをありがたがってる人たちなんてたいていはなにもしていない、一日中スマホを眺めているかタブレットで仕事をしているだけよ、まるで誰かにそんな自分を見てもらいたがってるみたいに、コーヒーショップの窓際に席を取ってね…目覚めの儀式を済ませてしまうとその日最初で最後の食事を制作する、まずは冷蔵庫で誰が挙手をしているかを確かめる、たいていはパスタになる、具材とソースを日替わりにすれば飽きることなんてまずない、調味料だってインターネットを使えば世界中のものが手に入る、もしもこのまま死ぬまでパスタしか食べないということになっても、決して後悔することはないだろう、限定された世界は狭い、なんてそんなこと言える時代じゃない、突き詰めればどんな限られたフィールドだって無限に楽しむことが出来るはず…今日はシーフードをたくさん使ってバジリコにしよう、フライパンの上で徐々に温まるオリーブオイルにはある種のマジックがある、それは、この食事について不安に思うことはなにもないと言われているかのような安心感、どうしてだろう?それについては一度も疑ったことがない、たまに生活に入り込んでくるパートナーだって、信じきれないままたいていは別れてしまうのに―オニオンをカリカリになるまで炒めて、それから具材を放り込む、一度蓋をして、すべての味がひとつになるまで放っておく、その間に小さなビールをひと缶開ける、それはいつのまにか必ずやることになったおまじないで、そうすると身体がリラックスして、食事を存分に取り込めるようになる―と思っている―そうこうしているうちに麺が出来上がるから、適当に湯切りをしてフライパンの蓋をどけて放り込む、塩、胡椒、ワイン、フランベ…ピンク色の炎を見ると幸せな気分になる…皿に盛り付けて出来上がり、今日はサラダは添えない、サラダを添えるのは肉がメインの具材の時、シーフードってサラダみたいなものだと思わない?アンティークを装ったラジオのスイッチを入れて、どうでもいいクラシックを聴きながら台所のテーブルで食べる、暮れてきた街の様々な屋上を眺めながら―この街に来てもうどれくらいだろう?そんなことを考えるのはいつもこの時間だ、過去なんて実家に忘れてきたおもちゃみたいなもの、ある種の愛着以外に特別なものなんてない、いつからか風になびく木々のように生きたいと思うようになった、ただそこに在るというだけのものってどうしてあんなに素敵なんだろう、そんな理想を語っていると変り者だと言われた、それはなにと比較したうえで言っているの?と尋ねると、みんな上手く答えることが出来なかった、だってみんな、自分たちと違うからってそんなふうに言っていただけなのだもの…過去に、現在、未来、それらはみんな風のようなものだ、どこかから吹いてきて一瞬肌に触れ、どこかへと去っていく、なにかを残すことなんかない、いつだってなにもない平野に立って、どこへ行くべきかと考えている、幸せってもしかしたらそういうものかもしれない、だって、欲望について考えるとき、誰しもがとんでもない我慢をして、理不尽な毎日を生きるじゃない?―食事を終えると食器を洗い、網に伏せる、決まりごとは終わった、世界が完全に夜に包まれたら、二十四時間開いている店に出かけて買物でもしようか、なにか漠然としたイメージを詩のように綴ってみてもいい、本当の意味で人が生きていられる時間なんてもとよりあまりない、さあこれからなにをしよう、と考える時、わたしはいつだって人生で一番賢い時間を生きている。


自由詩 答えは風の中 Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-08-29 21:55:31
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