解くことを諦めた知恵の輪が唯一の遺品だった
ただのみきや

透明な身体からひとすじの血が流れ
その血は歩き出す
煙のしぐさで ふと立ちどまり
頬杖をつく 女のように男のように

見るという行為が人を鏡にする
歪んだ複製を身ごもり続けることを「知る」と呼んで

水銀の鏡ふかく盲目のぬしが住んでいる
その総身の傷がいっせいに凝視した
交感ではなく交換 まぶたの内と外が入れ代わる


日差しをすくって飲む
彼女たちは掌で味わい素足で乾きをいやす
くったくのない夏のおしゃべりは
秋には手紙の束として燃やされる 鮮やかに

スカートをはいて逆立ちして
彼女の性はむきだしだ
未来の匂いを大気からたぐりよせ
勤勉な労働者たちの通いどころとなる


ちいさな蝶の翅を片方つまんだ
くちびるほどのやさしさで
残された羽ばたきのやわらかな激しさは
力が尽きるまで繰り返された

捉えようのないものを捉えて
梯子もないのに昇り降りする
五線の檻から逃げ出して
音符は初めて歌になった


そのからだは流動する
静止すれば消えて動き出せば現れる
身をまかすことはできても
つかまえることはできない

寝そべって舟になる
歌声にながされて
月のようになめらかに
沈む場所を訪ねながら


彼女はそよ風に誘われたひとすじの煙のよう
舞台に歩み出す 全身を盲目の指先にして
動作は記号化されて絶えず流れ
その記号は詩のように見透かせない陰影をまとう
照明が真っすぐ当たったあの能のような面差しの中にすら

わたしはわたしを放り出す 体の外へ
わたしを乗せたこの小さな世界の複製は
ことばではなくことばで型抜かれた空白に過ぎない
道化による神話遊びはそれ自体絶えず死を要求する
くべられた記号をなにかの像へと誘導する霊媒師の所業で



                     《2022年7月23日》










自由詩 解くことを諦めた知恵の輪が唯一の遺品だった Copyright ただのみきや 2022-07-23 16:38:18
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