彼の欠片
ホロウ・シカエルボク


公園の、古い
石を組み上げただけのベンチで
左腕をだらりと投げ出して
男が眠っている
俺には確かに
そいつは
眠っているように見えた
なんなら
幸せな夢の中に居るみたいに

一時間後、二人の警官が
ばたばたとやって来て
眠る男を覗き込んだ
それから短い話をして
その途中で
一人の警官が俺をちらりと見
もう一人とまた話して
もう一人も俺をちらりと見た

一人はベンチに残り
どこかに報告をしていた
一人はこちらに小走りでやって来た
失礼、いくつか質問させて頂きたいのだが、と言った
強い汗のにおいがした
いいですよ、と俺は答えた
「ずっとここに?」
俺は頷いた
「今日は休みでね、のんびり座りたくて」
警官は頷いた
「あそこのベンチに居た男性は顔見知りですか?」
俺は首を横に振った
「いつもここに来るわけじゃないし、見たことない人だよ」
そうですか、と警官はメモを取った
「彼は死んでいるの?」
警官はこちらの胸中を探るような目をして頷いた
「寝ているのだとばかり…」
口にしてから逆に怪しまれやしないかと心配になったが、そんなことはなかった
「苦しんだようではないですね」
と、無理もないという顔をしながら警官は教えてくれた

警官は一礼して戻って行った
公園を去るときにもう一度俺に向かって会釈をした
随分礼を重んじる警官だなと思った
のんびりする気分じゃなくなって
俺も公園を離れた
公園のすぐそばの
巨大なマンションが立ち並ぶ通りを抜ける時
なにかぞっとするものを感じた
公園のこととは関係がなかった
その通りに潜む
魔のようなものが居るように感じた
少し立ち止まってあたりを見回した
これほど巨大な居住空間の中で
休日の昼間
一人の人間も見かけないというのは奇妙なものだった
映画のセットの中に放り出されたみたいだった

夕方のニュースで公園の男のことが流れた
心筋梗塞ということだった
そんな歳には見えなかった
きちがいじみた暑さにやられたのかもしれない
夕食のピザを頬張りながら
あいつもきっと
家に帰って夕食を食うつもりだったに違いない、と
俺は思った
同じ日、同じ時間
同じ公園に居て
俺は生き残り、彼は死んだ
俺は夕食を食ったが、彼は解剖されたかもしれない
俺たちの運命にどんな違いがあったのか
そんなことを考えながらピザを食ったせいで
丸く切られたサラミが俺の体組織のように感じた

夕食のあと、電話が鳴り
出てみたが数秒の沈黙のあと切れた
電話をかけてくるような人間に心あたりはなかった
昼間の男かもしれない
シャワーを浴びると見知らぬ男の死の影は消え失せた
今頃は排水管の中を漂っていることだろう
ラジオをつけるとドン・ヘンリーの曲が流れていた
ボウイにあやかって作ったようなあの曲だ
ドン・ヘンリーにはそれほどの才能があるような気がしない
スピリットはカリフォルニアで使い果たしたのだろう
ソファーの上でほんの少し眠った
夢の中で俺は
真っ黒いテレビ画面を見ながらゲタゲタ笑っていた

目覚めると真夜中で
ラジオは終了していて
窓の外を通る
人や車も
鳴りを潜めていた
すべてが静まり返っていた
あの男がそこに居るような気がした
きっと、これは
同じ種類の静けさなのだ
すっかり忘れて
もう思い出すこともないだろうと思っていた
あの男のことをまた
ありありと思い出したことで
俺は困惑していた
話し声さえ聞こえるような気がした
俺は目を見開き
耳を澄ませてじっとしていた
誰も話し始めなかったし
誰も動くことはなかった
俺はため息をついて立ち上がり
洗面で歯を磨き、顔を洗って
もう一度ため息をついてベッドに潜り込んだ
自分がそれを感じなかったことが
嬉しいのか悲しいのかよくわからなかった
変な休日だ
そう思いながら
どんな夢も見ない眠りの中へ落ち込んでいた

妙に早くに目が覚めて
どうしたものかとベッドの上で上半身だけを起こした
陽はまだ上りきっておらず
部屋の中はメランコリックなPVみたいに薄暗かった
昨夜のような奇妙な緊張はもうなかった
玄関のドアの前に誰かが居た
昨日の公園のあの男だった
服装が同じだったし
背格好もだいたい同じだった
願望が作り出したまぼろしではなさそうだった
薄暗がりに溶け込んで
表情はよくわからなかった
俺には彼がどう切り出したものかと悩んでいるみたいに見えた
でもじっと彼がなにかをやり始めるのを待った
やがて
男は子供のようにさよならと手を振った
俺は肩の力を抜いて同じように返した
それから
強制的な瞬きみたいなホワイトアウトが一瞬あって
男の姿はもう見えなくなっていた
ちょっとした縁で
それが忘れられずここに来たのだろうな
なんとなくそんな気がした

俺は起き上がって
洗面で顔を洗い
簡単な朝食を作って食べた
まるで知り合いが逝ってしまったような気分だった
コーヒーを飲みながら朝のニュースを見た
昨日死んだ男の話などもう誰もしていなかった




自由詩 彼の欠片 Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-06-26 21:27:00
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