手紙8
武下愛
あなたにはどんなふうにわたしがみえてるんだろうね。どうしたってだれかがなにをおもっているかをきにしてしまうのは、あなたのしせんがじしんにむいている、しょうこだときづいてほしいです。うつくしさだけをかかえたひとがこのせかいにどれくらいいるでしょうか?じぶんはみにくさをどれだけうつくしさにかえれたでしょうか?あなたのせかいにはどれだけのみにくさがのこっているでしょうか?うつくしさにはどうしてもみにくいものがあるからこそ、うつくしいせかいをうみだせることがあることもしって。げんじょうのせかいへのこたえを、ひとりひとりがもっていることをしょうめいしていく。あなたもおなじだといえるのだから、いまをくるしんだけっか。さいてきかいがうまれるのはさきかもしれないけれど、これからさいてきかいがずっとうみだされて、ほんとうのこたえがみつかりますように。たとえばこたえをさがしだすとき、してんをあたえることをしてきたわたしは、あなたがいまこごうとしている、ふねに、こだわりをもつひつようせいを、みつけられずにいます。さかなになってしまえば、いいのにという、みかたをしてしまうのです。そらをとべばいいじゃないと、わたしはみかたにとらわれずにいてほしい、かぎりです。さだめることはしばりになってしまうことがあるんです。もっとじゆうにとらえてもいいと。おもうのですがいかがでしょうか?こていかしてしまうことは、いがいとむずかしいひともいて、なんかしてしまうことが、むずかしいひともいて。じぶんじしんがいいほうこうにすすめるとしんじたせかいを。あるいていけたらと、おもってしまいます。むりだけはしないでください。むりをしてしまうと、それだけのふかがかかってしまいますよ。なにかをうみだしはじめる、あなたたちへ。はじめはたのしんでほしいです。いずれは、つめていくだんかいの、くるしさをしっていくことでしょう。しってしまうことはそれだけ、じゅんすいにつきつめていったけっかです。つきつめていったけっかは、かならず。げんかいをこえることをくりかえしていきます。そのけっか。すっとだしたこたえが。ひょうげんがみのることを。おぼえていてほしいです。もっともっとというのは、できますけど。わたしは、はじめのだんかいでつまづいてこわれるくらいなら、じゆうにかいていいと。じぶんらしさをてにいれるまで、じゆうに。そのあともじゆうにひょうげんできることを。のぞんでいます。せかいがあなたをひていするためにあるのではなく。せかいがあなたをこうていするためにあるのではなく。せかいにみとめさせるために。ひょうげんは。あるのかもしれない。つきつめてまよってしまう。あなたはどこにもこたえがないことを。しっているのかもしれません。いずれかけなくなることをおもうのであれば、かいてしまうことがただしいとおもってしまうかもしれません。どれだけのといえば、ひとりひとりにただしさがこのせかいにはあって。わたしはかかないじかんがつのったのですが。そのきかんあたためてきただいざいを。いましょうかさせています。もしかしたら、ときがかいけつするばあいもあるので、よかったらさんこうまでに。かかなければというしめいかんを。おいてみることもおすすめします。これはひとつのかんかくなのですが。さゆうされやすいのであれば。よけいにきょりをおくことをしったほうがいいかもしれません。あたえられるひょうげんがいまあるのは、あたえられたからでしかないのであれば。それははたして、ほんとうにじぶんがひょうげんしたいさくひんであるのか。みつめなおすことがだいじかもしれません。きびしいことをいうようですが。だれかにひょうげんさせられているのであれば。ほんとうにじぶんのさくひんであるのか。みつめなおすめがひつようだとおもいます。えいきょうするということが、どれだけのさようかしってほしいです。ほんとうにこころからでたことばだけがゆるがないのかも。しれない。わたしはわたしのことばにうそをつきたくはないです。いまひょうげんしていることばたちが。すくなからずいいほうこうにすすむことをねがっています。ひらかれたせかいへのこたえをもつづけられることを。すべてのうみてに。ゆだねていきたいです。これからも、らしくいきていけますように。ねがいをこめて。