断層の誕生
ホロウ・シカエルボク


思うに俺は、生まれてすぐに、育つはずのない骸の中に押し込まれ、どういうわけか上手い具合に育ってしまったというわけだ、ある初夏の午後、歪み木細工の椅子に沈んでぼんやりとしていた俺はふとそんな考えに行き当たった、奇妙なほどに性急に夏がやってきたみたいな年だった、少し身体を動かして、ゆっくりと弛緩させているところだった、おそらくは十にも満たぬうちから、俺は自らに死がつきまとっていると感じていて、そして、それを怖いとも思わなかった、それが当たり前であるとどこかでわかっていたのだ、どうしてそんな子供だったのかということについては、以前に何度も語ったことがある、簡単にいえば、生まれてすぐに何度も死にかかったことがあるということだ、だから俺はどちらかといえば、生よりも死の側から世界を眺めてはそこに自分なりの秩序を設けていくというやりかたを好んできた、どのみち、どちらかにこだわることなど馬鹿げていると感じていたし、どちらかを選んで盲信しなければならないという考え方も好きではなかった、パンが好きな人間だって米を全く食わないというわけではないし、逆もまた然りだ、それはどちらかだけに限定出来るような物事ではないはずなのだ、しかし、だけど、世の連中は時折狂ったように生を賛美し、死を恐れ、兎にも角にも良いことだけを考え、悪いことはただの不運だとでもいうように、明るく前向きに生きていこうと説き、本屋に行けばそうしたことが如何に人生を豊かにするかというようなことを長々と語るような啓発もののタイトルが平積みになって次々と売れていっては翌年古本屋に並んだりした、俺はそれを恐れなのだろうと感じていた、死への恐れ、暗闇への恐れ、満たされぬこと、飢えることへの恐れ、それはていのいいヒットソングを生み、信じて祈れば天変地異で死ぬことはないというような宗教を生み、外に出て遊べば元気で素直な子供が育つという迷信を生んだ、みんなどこかで何かがおかしいと感じているはずだった、だってそうだろう、少し周りを見渡せばなにひとつ叶っていないことは明白なのだ、何かが間違っている、どこかから修正を行わなければならない、けれど皆、おそらくは誰一人、それを行おうとはしなかった、きっとそこから、取り返しのつかない人生をやり直すことなど御免だったのだ、人生なんてものは、間違いを犯し、やり直してこそだというのに、誰もそのことがわからなかった、現状がどうあろうが自分は前進していると信じ込んで、そうではないものを必死になって見下した、その結果自体はさらに醜く、おぞましく変化していったし、そうした人間の集合体は、何を生むことも出来ない崇高な共通概念を共有することでますます抜けられない地獄へと沈み、その歪みと、淀んだ沼のような自尊心を伝染させていった、俺は学食で天ぷらを食べながらそんな悲喜劇を眺めていた、安い天ぷら、安いソース、古い油の臭い、人いきれ、湿気、根源的な社会の風景はその時点で認識出来た、そしてその認識は、そこから何度場所を変え、人が変わっても塗り替えられることなどありはしなかった、間違いは間違いだった、正すことすら意味はなかった、それは間違えるための間違いであり、直しようのないものなのだということがやがてわかった、長い時間をかけて、間違えないように生きようと懸命に試みた挙句、それは間違えるものなのだという認識に行き着いた、間違えるために生まれてきた、間違いを知るために、欠陥をまざまざと見せつけられるために、一度間違えたことは二度と間違えないようにすることが大事だと人は言う、でもそんなこと出来るやつがどれくらいいる?人は間違える生きものなのだ、間違えることで自分自身を知っていく、自分自身の愚かさ、危うさ、幼さ、そんなものを抱えて生きるために生まれてきたのだと思い知らされる、それからが人生だ、それらすべてを受け入れ、なおかつ、それを抱えてどんな道を歩くことが出来るのかと、長い時間をかけて俺はそうした認識のスタートラインに立った、その間、社会はだんだんと間違えないことが重要だというように変わり始めた、自分は何も間違えていない、なにをやらかしてもそんな風を装うようになった、もう彼らには歩むべき道すらありはしないのだ、彼らの名前はシリアルナンバーと同じだった、量産される同じ部品のひとつだった、俺は寒気がした、そして少なくともその中のひとつにはなれないだろう自分にほっと胸を撫で下ろした、自分で作り出した渦に飲み込まれないこと、自分で作り上げた罠に脚を挟み込まれないこと、そして、百万の愚行にも勝るいくつかの功績を生み出すこと、それが俺の人生の指針になった、それはささやかなもので構わない、俺自身がそれに感じることが出来れば、他人がそれをどう思うかなんてことにはなんの意味もなかった、俺とわりかし近い道を歩いてる連中は訳知り顔で主観だの客観だのという言葉を繰り返したけれど、俺はそんなまやかしを信じなかった、人は誰でも自分自身でしかありえない、紙の上に何かを書きつけようとするものは自分自身であろうとするためにそうするのだ、それ以外の理由などどこにもなかった、これまでも、これからも、思うに俺は、生まれてすぐに、育つはずのない骸の中に押し込まれ、どういうわけか上手い具合に育ってしまったというわけだ、だから、そのことを忘れないように最後まで書き続けるというわけさ。


自由詩 断層の誕生 Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-05-05 23:12:05
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