交信は不可能
ホロウ・シカエルボク


時刻は午後四時で、僕は見知らぬ部屋の中に居る、マンスリーマンションのような、生活に最低限必要なものだけを揃えた味気のない部屋の中だ、玄関を開けるとすぐにキッチンがあり、木枠にアクリルガラスをはめ込んだ片開きドアを開いたところにリビングがある、椅子もクッションもない、カーペットすら敷かれていないその部屋の中で僕はあぐらをかいて座っていた、僕の前には正方形の板に丸い足をつけた木材のテーブルがひとつだけ置かれていた、ホームセンターで板と棒を買ってきてくっつけたみたいな素気ないテーブルだった、この、全体的な素気なさは僕自身に原因があるのかもしれない、僕はふとそんなことを思った、夕食の献立が不意に決まったみたいな思いつきだった―テーブルの上には懐かしい通信機器…トランシーバーというやつがひとつだけ置いてあった、ということは、もうひとつはどこかにあり、向こうで呼びかければこちらで応答出来るということだった、もちろん、その逆もしかりだ、でも、それはあまりにも古びていて、例えば電池を入れ替えたとしてもまともに受信や発信が出来るとは到底思えなかった、何度も落としたみたいに、艶のない黒い塗料はあちこちが剥げていた、戦場で拾ってきたみたいなダメージだった、それなのに僕は、じっと待っていればそいつが喋り出すような気がして仕方がなかった、それに、ここに居る理由について考え付くものは現状それしかなかった、だから僕は、そいつが喋り出すのをずっと待っていた―最初に時計を見たのは午後の三時半ごろだったから、半時間そうしていることになる、もちろん、時計がきちんと動いているならばの話だけど…壁掛けのアナログ時計には電波時計であるというシールが貼ってあった、体感的にも示されている時間と大きく違いがあるとは思えなかった、予定などなにもなかった、そもそも、どうしてそこに居るのかもまるで分らないのだから―そういったわけで、僕はトランシーバーがなにかを受信するのをずっと待っていたのだ、この片割れに呼びかけてくるのはいったい誰だろう?僕の知り合いだろうか?両親や兄弟、あるいは親戚の誰かだろうか?なぜかそうとは思えなかった、これはおそらく僕の夢だろうし、こんな現実味を欠いた世界設定の中で、そんな確固たる存在が表出してくる可能性はどう考えてもゼロだった、この片割れを持っているのは、きっと僕の知らない誰かだ、僕はそう確信した、男だろうか、女だろうか?それとも、男とも女ともつかない、不思議な声をしたものだろうか?人語を話す動物かもしれない―いや、だったらこんなもの扱えないかもしれないな…なので僕はとりあえずそいつを人間に限定した、トランシーバーというものは交信をするための機械だ、誰かが意思を持って、それを前にしているに違いない、僕の方にはなにひとつ情報はないが、向こうにはあるかもしれない、そしてそれを僕に伝えてくれるのかもしれない、あるいはそいつのもとにもなにひとつ情報など無く、僕と同じようにトランシーバーがなにかを受信するのを待っているだけかもしれない、いっそのこと自分から呼びかけてみようか、何度かそんなふうに考えたけれど、どういうわけか僕にはそれを手に取る気にさえなれなかった、あるいはこんなものになにひとつ意味なんかなくて、ただごみ捨て場で拾われてきたがらくたなのかもしれない、この世界に居るのは僕だけで、このトランシーバーももはやこいつだけなのかもしれない、目下のところ、それが一番妥当な線のように思えた、前にも言ったけれど、なにせそれは到底まともに動きそうな代物には見えなかったからだ―でもこの景色がどんなものであるにせよ、急いでそれを知る理由は僕にはなかった、これが夢であるのならば、底に意味があろうとなかろうといつか現実の中で目が覚めるのは保証されているわけだし、ならば純粋な興味に従って少し待ってみることくらい全然問題なかった、待つべきではないかもしれないものを待つのは悪い気分じゃなかった、そこにはどんな約束も責任も存在していないのだから…時計が四時三十五分をさして、そろそろ飽きてきたなと思った瞬間に受信を示すランプが点った、が、受信状態は良好とは言えず、ノイズの向こうに微かに人の声があるような感じだった、「聞こえない」僕はトランシーバーを手に取り、通話ボタンを押してこちらの状況を伝えた、「ノイズが酷い、声らしきものが微かに聞こえる、どうぞ」続けて呼びかけてみたが結果は同じだった、やがて、たどたどしいライトハンドみたいにノイズの周波数は次第に上がっていき、耳をつんざくような轟音になって、それからもと通りのジャンク品みたいなトランシーバーに戻った、僕は酷く下らないことに時間を費やした気になって、控えめに言って頭にきた、そいつを手に取って味気ないリビングの壁に思いっきり叩きつけた、ウェハースを押したみたいにあっけなくそいつは砕け、消え失せ、代わりに現れた僕の生首が床に転がった―ついさっきぶつけられたみたいに、左側頭部が激しくへこんでいた、目と鼻と口からそれぞれ一筋ずつ血を垂らしていた、僕の生首は何度か転がった後、僕と向き合うかのように首の切断面を上手く下にして立ち上がった、よせよ、と僕は言った、「酷い夢だな」生首は僕を詐欺にかけようとしているみたいににっこりと笑った、僕は時計を見た、時間は凄く速く進んだりのんびり戻ったりしていた、僕は時計を壊そうと思った、でも投げつけるようなものなんてすでに残されてはいなかった。



自由詩 交信は不可能 Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-04-26 16:18:58
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