残雪の朝に降る霧雨に似た雨
山人
三時四〇分に目覚め、家業宅へ移動中、雨は降っていなかった。四時半に表に出ると霧雨よりも少し大きめの粒の雨が降っていた。散歩を課していた。雨のため、歩くのをやめるという選択肢もあったが、いくぶん濡れるであろうが、こうもり傘を差して歩けばさして問題はない。厭なムードというものは存在するが、とりあえず行動に移してみるとする考え方は大切だと思う。
夏鳥は大分前からやってきていたが、オオルリの声は最近である。三大美声鳥の一つであるが、あとはヒバリだったであろうか。もう一つはなんだったか失念してしまった。他にもよい鳴き声で鳴く野鳥はいるが、それは一般的ではなく個人の主観ということなのだろう。誰かが取り決めたなにか。そこになんの脈絡も根拠もない常識など、山ほど存在するが、そんなことに目くじらを立ててみても心は晴れない。
大雪であったはずの今年の春は、夏日のような暑さで一気に雪は大量に消失した。それでもあたりは未だ雪の白い面積が勝っている。閉鎖されたスキー場のゲレンデにはところどころ茶色い土の剥げが発生し始めている。雪の柔らかいところはすぐ融け、硬い部分は融けにくい。それにより、スプーンで抉ったような「スプーンカット」と呼ばれる形状が現れる時期である。今時分、そこをスニーカーで歩くことも容易だ。
雪の傾斜を登り切ると再び車道に出、アスファルトとなる。地元建設業者は車道の除雪で噴きあげられた雪山を除去する作業に入ったようだ。農家の田に入った雪を除けるという名目の作業であるのだが、道路右に田畑はないので、そちらに雪を捨てればよい。しかし、あえて田のある左側に雪を噴きつけることで作業量を増やすという、この辺ではごく一般的な手法だ。
年をとるといろんなことへのあきらめが勝り、腹が立つことが少なくなりつつあるが、めずらしくどうしようもなくこの時期に腹が立つことが発生する。民放のテレビの女子アナウンサーがにこやかにゴールデンウイークはどう過ごしますか?といった問いかけを視聴者にしていた。身分が保証され、月収も保障されたものにとってのゴールデンウイークはまさに黄金期間なのだろう。一方で、派遣や私のような日雇い人夫は日々を稼がないと手取りが減る。これは黄金どころか暗黒期間である。それでも少しは気分だけでもと出掛ければ物価高や燃料高は収まりを見せない。資本家のための政治、テレビ、マスコミ。青菜に塩状態の保身に身を転じた野党。太平洋戦争の歴史を無視した言動などなど、勝手気ままなウクライナ情勢の言動群。甘い蜜に群がるのは人間の性なのだろうが、いったいどこに、向かうのか日本丸は。
四月十一日から概ね昨日まで、他の森林組合の方々と同一の現場で作業を行った。他の臨時作業員は未だ出勤しておらず、私と課長が現場の作業となったが、彼らとの作業スキルが圧倒的に違うことを思い知らされた。原因としては圧倒的な経験値の違いによるものだが、こういう世界(あらゆる世界に共通するであろう即、戦力のジャンル)ではすべて結果しかない。そこに個人の経緯や言い訳は一切通用しないし、言い訳を求められることもない。寡黙な現実と寡黙な結果のみが存在する。そして、課長みずからも唯一少ないが経験値の比較的ある私を無言で責めているのがわかる。経験があるとはいっても、年に数回のみなのだが、それでも結果を求められるのだ。
暗黒期間は確かに暗黒ではあるが、タールのように粘質で息もできないほどではない。この間、自己の、あらゆる研鑽をする期間として制定するべきだろうと思っている。それでスキルが上がるかどうかというのは、六四歳の私では期待は薄いのかもしれない。利益を生まない、黄金ではないかも知れないが、ふさぎ込むだけではそれこそ何も生まれないと思うのである。