ブルとディブ
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「当たり障りのない方面に持っていく」か「特定されない状態で自由に書く」かのバランスを自然にとるのが嫌で、単純に律儀にやったところで不利だし、疲れてマイナスやボロを出すよう仕組まれた水中戦のようなところがあって、俺からしたらグランドを誘ってるようにみえるが、打撃戦を誘ってるのかもしれない。相手からしたら逆にみえるかもしれない。もともとそうだと思っているなら縦横比保持にチェック入れた状態で、自動で生活と社会のバランスとれる。抵触したらもうあえてチェックはずさないと、戦いませんってなる。耳たぶの血が最も美味とされる文化圏の蚊のようなリスクを誰もが感じながら生きているが、羽音がそこまで感情や行動を生むとも信じられない。
拡縮は愛と儀礼により丹念に読み込まれる。
いや時々勝手にチェックが場違いに外れてしまう(意識が足りない)からこそ、「意識的に」やりたくなる。不器用貧乏の自覚があり、バス停で自分はあと数年でこの列から消えると思っているし、タンクトップのえりぐりから向こうの景色が見えるおじいさんがガードレール握りしめて丸太町を海のように眺めてるのみると暗数を感じるし、暗数のほうに陥る確率を考え出すと、無意識で抵触するくせに、こわがってチェックを入れっぱなし(社会にコントゥルールされっぱなし)で暗数になる人生ってなに?その飼い馴らされた暗渠っぷりはなに?というところに行き着く。
かといって戦わなかったからといって絶妙なバランスをとらなかったというわけではなく、しんどかったって翻訳してあげられたらなあ、と。そのいっぱいあるヒダのとりわけセンシティブな部分に需要があるんじゃないかと信じ込んでいるが、そこまでの価値はないからナマミでさしだす。特定され、当たり障りが少しある、無害な状態。幸せをホヤみたく、すこぅし裏返し、その手をストップしたところ。
Bright dayの谷間で
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凪の暇の2話目あたりで意外な素顔の事例をみて「悪質な1%」によるいざないで暗数になっていく人
凪のお暇の2話目あたりで意外な素顔の事例をみて「悪質な1%」によるいざないで暗数になっていく人になりそうで、まだ社会の側にとどまっていられる。なぜそんなに真ん中で喋れるの?平均台に乗ったようにつづけられるの?自分の経緯をだらだら話せる人に対する苛立ちは日増しにひどくなり、IPPONグランプリを職場でやりまくり、自分の経緯を話せないというのは、端的に、いじりをやめられないだけなのかもしれない。日本語のおかしい上司のきもちが段々わかってきて、経緯がわかってくる。
天井さえ意識していれば、陽光布団シーツ内ではしゃぐ子供兄弟のように跳ね除けていれば、終らないのだと想っていた。←これがそのまま一時停止ボタンを押され、押した人は台所に飲み物を取りに行ったのだと思ったら、鍵の音がして、放置され終ったテレビ内の出来事だと気づいた。空気は夜の空気で、成長はずっと前にとまったことにきづいた。
ああ、なんというか、いっぱいの船で出るのではなく、いっこの船にいっぱい住むのが富樫流だなあと。
「当たり障りのない方面に持っていく」か「特定されない状態で自由に書く」かのバランスを自然にとるのはなぜだろう。
もともとそういうものだと思っているのなら、それは「縦横比保持」にチェックを入れているような状態だろう。自動でバランス・距離がとれる。便利だ。夕方少し薄暗い。店じまいする不動産屋の男ふたりが、電光看板を店内に引き込んでいる。踏み板が鳴り、男ふたりの体躯は看板に対し役不足で、余り切っている。生き残ってきた感じがして、また暗数を感じる。体躯から差っ引かれた自分は、数年後、亡霊になっているものだと、てっきり思っている。営業、という体躯は生き残り感。サバイブより、生き残り。バイタリティ(わたしがいつも思うのは、バイタリティって保持するチカラなのだ)。メンタリティではなく。互助ではなく。私は1m×1mでピラミッドを作ることを決めた。彼らは10m×10mで作ろうと決めたぶん、完成予想図の、てっぺんの石の距離感で想定して接するしかないので、男なのだと、ぼんやり思う。私はいつも公共トイレで手を洗うときやコンビニでお釣りを受け取ったあと、後続を意識していて、自分に必要な時間は計算していないことが多い。私がなにか時間全体の伸縮のバッファになって犠牲になるところで、これは同じような考えのひとが押し出されて日本列島からはみ出して海にぽちゃんと落ちないかの不安であり、たいていのひとは私がこれを正式に表明することで問題が顕在化し、良化していくので、ちゃんと枠内(あるいは時間内)に収まると云うのだが、今まで見てきた事例が明らかにそうではないという受容を先にしない人間を、私は信用できない。私は、というか、この管を通ってきた人なら、いや、私も言いすぎているのはわかる。日本列島の端なんて正式にわからないし、想定できているともおもわない。それでも私なりに、私の落ちる場所、暗数のことを考えることをやめられない。
しかし、もし自然にやって抵触した場合、それがしつこく続く場合、もう、あえてチェックを外さないと、「戦いません」ってことにならないか。
じゃあ「戦わない」ということは、観念したということにならないか。
観念するっていうことは暗数に思いを馳せることにならないか。
それはまた早すぎないか。
かといって、いきなり「軽薄」にもなれないし。
いや十二分に軽薄かもしれない。観察、という意味では、表情すら偵察できないし、偵察したうえで操作することもできない。いいほうにもわるいほうにも。受像した気になっているが、ほとんど言わない人より視えていない(フィードバックもない)のに、承認を得ようと躍起になって書くぶんだけ、当たってなくても量で再三に渡って「誉められてきた」。
耳たぶの血が最も美味とされる文化圏の蚊のようなリスクを、誰もが感じながら生きているが、羽音がそこまで感情や行動を生むとも信じられない。
あと、単純に、律儀にやったところで疲れてマイナスやボロを出すよう仕組まれた水中戦のようなところがあって、疲れてくると、時々勝手にチェックボタンが場違いに外れてしまう(意識が足りない)からこそ、「意識的に」やりたくなる。0と1が書き換えられていて、縦横比維持のチェックが外れている。その0と1の保持が、単純なようでいて、非常に厳しい。この0と1に目くじらを立てない場所、そういう場所の示唆がダルちゃんの最終2話で成されていたように感じる。ただ、私はそこまでヘンタイかつアカデミックには添えなかった。そういう意味では軽薄なのだ。
軽薄というのは、ぼんやりと生きてきた、という感じに近い。なんとなく日曜日に、掃除機の音に負けないようにタルルート君の音量を上げたりしながら、ほこりがきらめくのを見ていた気がする。
不器用貧乏の自覚があり、バス停で自分はあと数年でこの列から消えると思っているし、タンクトップのえりぐりから向こうの景色が見えるおじいさんがガードレール握りしめて丸太町を海のように眺めてるのみると暗数を感じるし、暗数のほうに陥る確率を考え出すと、無意識で抵触するくせに、こわがってチェックを入れっぱなし(社会にコントゥルールされっぱなし)で暗数になる人生ってなに?その飼い馴らされた暗渠っぷりはなに?というところに行き着く。
拡縮は愛と儀礼により丹念に読み込まれる。
かといって戦わなかったからといって絶妙なバランスをとらなかったというわけではなく、しんどかったって翻訳してあげられたらなあ、と。そのいっぱいあるヒダのとりわけセンシティブな部分に需要があるんじゃないかと信じ込んでいるが、そこまでの価値はないからナマミでさしだす。特定され、当たり障りが少しある、無害な状態。幸せをホヤみたく、すこぅし裏返し、その手をストップしたところ。
Bright dayの谷間で
関西の割礼
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じぶんの心と邂逅しました系のエッセイまんがはもう買わないし、cakesだってもうよまない
明滅できないので道すがら拾ってゆくしかない
明け方にかけ連ツイ
きょうくのころ
豪快いよね
美味しんぼ37巻p136 7コマ目
なんとしても生き延びなければならない気持ちが淡いほど生き延びられるし立ち技と寝技の錯誤が反転
午後から自転車を取りに行き
ダンボールを買う
のどのおくそこのすこいこびっちめいたぶぶん
6箱に、時間も
服頼む
布団
++++++
BROWSERS
BOTTOM LEFTに
走査線処理された CONTRASTのきつい 仰角観覧車の写真
これはBACKGROUND FIXEDされており 固定
真ん中には240px×180pxのIFRAMEで門扉が設置されており
SCROLL BARは
視えない
CURSORは CROSS
FONTは"Osaka 8pt"
過激なコンテンツである旨
WARNING
広告を隠そうとしたIFRAME内にも広告
そして結局そのページにも広告
畢竟1PAGEに収まらず SCROLL BARが発生し
(おそらく"彼女"の)CONTROLLは失敗する 少なくとも私のBROWSERSでは
(OPERA… NETSCAPE… LUNASCAPE)
みぎCLICKする
右CLICKはDIALOGによりWARNINGされた
MENU BARから SOURCEを表示へと至る
SOURCEには
COMMENTでおそらく"彼女"のHANDLE NAMEと
COPYRIGHTがしるされている
彼女のSOURCEは彼女のもの
ROCKERROOM DESIGN
404 NOTFOUND
芸術系SEARCH ENGINEのBANNERたち
いずれも88px×31px
私は
趣味のWEB DESIGNを見ながら
流し込む CONTENTSもなく
COMPLETEしないHTMLと
CSSを
書き続けた FFFTP DAYS
OLつけても ULつけても
LIするものがない PAIN抱えて
BRタグを心の中で どう発音していたか
LISTEN どうか ブルとディブ
++++
俚諺(6.6)
…た、たぬひこ?
なんや、おまえかいな
もっとこっちき
なんでだまるん、そこで
こおへんときいひんの五段活用に、ばあむくうへんも
いっとこか?
いちおう
神木隆之介と佐々木蔵之介がたまにごっちゃなる
こないだまで
縄文杉の根本で真顔で歯ぁ磨いとったんが
…ささき?
だいぶまえか
片平なぎさとかたせ 梨乃とたかの友梨もかなり
ベン図が激しい
全員ビュティークリニックか
だんだん
オリンピックみたいになってきよるわ
折原ゆかりも入ってきよるわ
それはなんでやろな
排他的論理和って
たぶん こういうこととは全然ちゃうんやろうけど
なんか
排他的論理和ってこういうこととしか思えへんわ もう
朝
余ってる時間で遠藤憲一のライスシチューのCM流れすぎて
わしはどうしたらええにゃ
やっとみつーけーたーの音程が染みついてはなれへんにゃ
マクベスなんや! しらんけど
BROWSERS
BOTTOM LEFTに
走査線処理された CONTRASTのきつい 仰角 神さびる観覧車の写真
これはBACKGROUND FIXEDされており 固定
真ん中には240px×180pxのIFRAMEで門扉が設置されており
SCROLL BARは
視えない
CURSORは CROSS
FONTは"Osaka 8pt"
過激なコンテンツである旨
WARNING
広告を隠そうとしたIFRAME内にも広告
そして結局そのページにも広告
畢竟1PAGEに収まらず SCROLL BARが発生し
(おそらく"彼女"の)CONTROLLは失敗する
美観崩れる 少なくとも私のBROWSERSでは
(OPERA… NETSCAPE… LUNASCAPE)
右折CLICKする
CLICKはDIALOGによりWARNINGされた
MENU BARから SOURCEを表示へと至る
SOURCEには
COMMENTでおそらく"彼女"のHANDLE NAMEと
COPYRIGHTがしるされている
彼女のSOURCEは彼女のもの
ROCKERROOM DESIGN
404 NOTFOUND
芸術系SEARCH ENGINEのBANNERたち
いずれも88px×31px
88px×31px
IMG SRC
DAIGO
ではない
LONG
私は
趣味の
WEB
DESIGNを見ながら
流し込む
CONTENTSも
なく
COMPLETEしない
HTMLと
CSSを
書き続ける
今日
FFFTP DAYS
OLつけても ULつけても
LIするものがない PAIN抱えて
BRとDIVを心の中で どう発音していたか きみは
どうか ブルとディブ
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こんばんは。いやほんと、時間が経つのが速すぎて
鈴木志郎康という詩人はコトバを生きるって言い方をしており、コトバの科学的な側面と叫びの側面を実現できたらラッキーぐらいなもので、実現しなくても自分自身に対する占い(現状把握)にはなるだろうし、いろんなひとが良いと思えようが、自分以外(自分でさえ)すっぽぬけてるなぁと思えようが、なんでも詩じゃねえかというのが最近の気持ちです。ただ、場としてそうはいかないというのが文学極道であると。
父の会社のパソコンで遊ぶ。パソコン雑紙をよくめくる
1999〜2001年 鈴木志郎康さんの名前をイメージフォーラム・フェスティバルの広告でみかける
2001年9月頃にぽえ会(日本WEB詩人会)に登録する→ここではWEB詩人という言い方だった
2002年4月1日にネット詩爆撃プロジェクトに遭う→いわゆるネット詩の世界へ
2002〜2004年 投稿詩サイトをネットサーフィンする。人の日記を特によく読んだ気がする。
鈴木志郎康さんの曲腰徒歩新聞、ミキさんの倉吉日記、田中智子さんのenpitu日記、その他のenpitu、ヤプース、はてなダイアリーなど
2003年4月1日 現代詩フォーラムできる
できるといってもなんか「やっとWEB版ができた〜」といった雰囲気だった気がする
わたしはパソコン通信知らないから雰囲気だけだが
2004年〜2005年 文学極道ができる→なんかおっかねえなと思い近づかない
2006〜2013年 惑星周期的なもの(人生はつらい…)で、詩から離れる
2013年〜2014年 惑星周期的なもの(お暇をいただきました)でもどってくる
2014年 同人誌に誘われる 詩集を集め始める
2015年 ポエケット、PSJ、合評、無力無善寺、ともちゃん9さいのライブ等をみにいく
2016年 PSJにでてみる 鈴木志郎康さんの詩集を揃え始める
2017年 現フォ同窓会に行く 昔ほしかったものを集め始める
2018年 UPJ6を見に行く 凶区を揃え始める 中年期危機
2019年〜
室生犀星、私は室生犀星が一昨年ぐらいでした。室生犀星読本というのをずっと昔に古本屋で手に入れてて、読んだのが最近ですね。富岡多恵子さんの室生犀星という本よんだり。月に吠えらんねえからだったかもしれないですね。室生犀星は投稿少年なんですね。
鈴木志郎康さんという詩人で映像作家のかたがいて、その方から現代詩?に入りました。最初は「あれ?詩ってこういうのだっけ」と思いながら、解放感があった記憶があります。おどろおどろしくもありました。それと同時にネット詩にも入っていました。詩というにはあまりにも離れすぎているような気がして、当時はつながらなかった。それからしばらく引きこもりながら、ネットで詩を読むのはタダなので、投稿される詩を読んだり、その人の日記を読んだりしてました。当時はエンピツっていう日記を書くサービスやはてなダイアリーができた頃で、日記コンテンツはいっぱい読めたですね。エンピツは「いいね!」的な投票ボタンを押すとボタンの文字が変わって内緒のひとことが読めたりとかしました。例えば「嫌いな芸能人は…」というボタンがあって、投票ボタンを押すとそれが見れたりとかね。
++++++
No.91 2018/10/19(Fri) 09:58:56
去年の現フォのオフ会、私も後半から、二時間くらいいましたよう。
ひさびさに一人で出かけて、やたらとたくさんのひとと会えて喋れて、くたびれ果てたりもしなかったので、めちゃくちゃ感動してました。
あれ~~。笑
トビラさんもnemaruさんも風邪をひいている。
私も鼻ずびずびしてきました。う~む、MP低下の秋、う~む。笑
鈴木志郎康さんのこと、知りませんでした。
http://satomichio.net/?cat=14
この方でしょうか(便利な世の中だこと)。
文学全集か、いいなぁ。図書館行って借りてこようかしら。
読書の秋。
そっか、
2002年
4/1 ネット詩爆撃プロジェクトに遭う(?)
このネット詩爆撃プロジェクトの記事をなにかのどこかで読んだような。
ぐふぐふ。すごいな~。
人に歴史あり。
そういや、ネット詩ってほんと~に発展途上なんですって。
ある方が、「ネット詩ってなんですか?」と、詩誌詩(ししし!)の方に聞いたそうです。
某さん「谷川俊太郎さんがネットに詩をかいたら、ネット詩ですか」
詩誌詩さん「それはネット詩じゃなくて、詩です」
ヒドイ!! なんかよくわかんないけどとりあえずヒドイ!! って。
私なんか、有料の紙媒体より、現フォにぽっと出てる詩のほうが、ずっと、ずうっと、すごい、と思う時があります。
現フォというところは、そのひとが、そのとき感じたことを、ぽっと書いているようなのが多いと思うのだけれど、
その力のぬけたひとことがズーン!! とくるようなことがね、よくあります。
小説は有料の方がプロのほうが絶対いいんですよ、でも、詩に限ってはそうでもない。ふしぎな現象ですね。
nemaruさんのネット詩の旅は終わられてるんですね。あ、でも、詩についてはこれからか。
いい詩、いっぱいありますよ~。
よい、紙の本の旅を送られますように!!
ps.新書のご紹介ありがとうございます。今月はポチり禁止月間。本屋でみつけられたら買う&見つからなかったら、来月ポチりますよ!!
nemaru (id:ntc) 3年前