母はフェニックス
壮佑

朝8時の虎ノ門ニュースで解説していたが、忽然と消えた卵の行方を捜している母親が、自分は世界と捩れた関係にあるということが理解できないのは、母親には卵の抱いている密かな悪意が認知できないからだ。母親というものは卵と必ずしも親密とは言えない。なぜなら、卵は夜に人の捩れた夢を食べることによってのみかろうじて生きていけるからだ。巨大な赤い花弁の裏側に蓑虫のようにぶら下がっている群生タイプの卵では特にそれが著しい。母親もそのことに薄々気付いてはいる。その証拠として、母親も夜に人の捩れた生霊を食べることにより、朝になると決まって便意を催すことがあげられる。卵の悪意は捩れた生霊の中に入り込み、それを食べた母親の回腸で再び卵となり、終いに肛門から出て来ることによってのみ薄められる。

チャンネル桜の3時間討論で検討されていた母親とは、実は私の母のことである。私はけさ母の肛門からひり出されたが、行方不明の卵を想って深い悲しみの淵を彷徨っていた母は、再び眼にした卵を手に取って涙を流し、その涙が卵の上に一滴落ちた拍子にピリリと割れた殻の中から、私がひょいと顔を出したものだから、母の悲しみはいや増しこそすれ癒されることはさらさらなかった。私もそんな母の様子を見るにつけ、貰い泣きの涙が溢れたものだが、母には私の涙の意味など分かろう筈もなく、突然、ほうっ! とひと声鳴いたかと思うと翼を広げて飛び立とうとする。しかし母の退化した翼で空など飛べる筈もなく、ひとしきりそのあたりをドタバタ右往左往した挙句、立て付けの悪い襖と柱との隙間に無理やり首を突っ込んでこじ開けようとする。しかし襖はガタと音を立てたきり動かなくなり、そのまま首が抜けなくなってしまった。

文化人放送局2のワンセッションが終わるまでの間も母はバタバタ暴れていたが、襖は押しても引いてもびくともしない。私は自分が卵であったことの記憶にムカデの足が生えて逃げて行くのを阻止するため、部屋を密閉しようと襖を思いっ切り強く閉めた。ビシャン! ちらと母の首のことが脳裏を掠めたが、そのようなことを思い煩っている場合ではなかった。ことは私の多元主義的アイデンティティクライシスに関わるのだ。首がちょん切れた母は両手両足をピクピク痙攣させながら絶命した。母の肛門からは、これまで夜に食べたのであろう沢山の捩れた生霊達が歓喜の叫びを上げながら踊り出て来たものだ。それ以来、彼らが踊りを止めないのを不審に思った私が尋ねてみると、どうも母の体内にいた時から踊らされていて止まらないらしい。どうにも……。

生前の母が無類の踊り好きであったことを高橋洋一チャンネルで既に学習していた私は、母への追悼の意味もあり、捩れた生霊達に請われるがままにこうして今も踊っているというわけだ。そのうち母も蘇るだろう。首を斬られ、血液が抜けて干からびてしまったフェニックスは、ヴェスヴィオス山の火口に投げ込むと蘇ると昔読んだマンガの「火の鳥」に描いてあったが、私の母は踊りの奔流と大渦の中で何度でも蘇る。そこがまた悩ましいところではあるが仕方あるまい。母というものはフェニックスなのだから。

蘇るがいい母よ。私は何処かを走り回っているムカデの足が生えた記憶についての記憶についての記憶…が薄れて行くのはそっちのけで捩れた生霊達と踊り続けている。太鼓の達人も張り切ってばちを振り回している。はあヨイヤサァ、ヨイヤサァ、ヨイヤサノサッサァ、ヨイヤサノサッサァ……。ナラドニャアラァヨーイノサァ~……。





自由詩 母はフェニックス Copyright 壮佑 2022-03-31 23:33:40
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