海上自衛隊横須賀技術学校にて
室町

人間 ──。
ひとことで「にんげん」というけれど、
人によってこれほど違うものかと瞠目したことが生涯に一度だけある。
人種や民族のことをいってるのではなく、
頭脳の明晰さや性格や体力の違いをいっているのでもない。
民族性や知能や心のやさしさや性別の違いがあるとしても、わたしは
人間などしょせんそれほど違いがあるとは
思っていなかった。
様々なタイプの人間と出会って、わたしのなかに人間とはこういうものである
という漠然としたイメージが出来上がっていた。
しかし、その固定観念をくつがえす出来事に遭遇した、といっては大袈裟だが
ちょっとした体験をしたことがある。
あれはたしか、
二十代の後半のころだった。
わたしは銀座にあった商業ビルの空調管理をしており
ボイラー技師免許をとるために労働省が定めた機関で数時間の
実技講習を受ける必要があった。
わたしに指定されたのは横須賀の海上自衛隊だった。
現在の最新鋭艦の動力はガスタービンが主流ですが、旧型の、
蒸気を動力とする艦艇の機関部ではボイラーが焚かれていたので
その係である技官からボイラー実習を受けるのに違いなかった。
防衛庁としては少しでも予算をうるおすために民間企業や法人からそのような仕事を
請け負っていたものと想像される。
わたしは気軽な気持ちで東海道本線小田原行に乗り横須賀へ向かった。
目当ての海上自衛隊第6技術学校は京急田浦駅から一キロほど先にあって、
そこまで歩くと春の陽気に汗ばむほどだった。
門衛に講習の場所をたずねると古い木造の教室を教えられたが、
内部はペンキが塗りなおされており清潔感がただよっていた。窓からは
おだやかな光をたたえた内海のむこうに横須賀米軍基地もみえた
講習生はすでに席についていた。わたしのような年齢の者は少なく、ほとんどが
中高年とおぼしき勤め人だった。
そこへ四十代と思われる半袖シャツの教官が颯爽と入ってきた。
瞬間、教室に張り詰めた緊張が走った。
自衛官というから屈強な兵士、兵隊というイメージしかなかったが、色白の、まるで
大正時代の文士のような細面の顔つきをした技官だった。背はそれほど高くなく痩せていたが、
快活であるのに剃刀のような鋭さを全身からオーラのように発していた。
その雰囲気がそこに集まった人たちを射すくめた。
世の中にはこんな人間が存在しているのかと思った。
わたしはそれまで同性に対しては性的にも知的にも興味も関心もなかったが
生まれてはじめて胸の中にざわめくものがあったので
じぶんでも仰天した。
周りを見回してみると他の講習生のあいだにも静かな動揺が広がっているのが見て取れた。
物静かではあるが、
その教官の周囲だけ何か異次元の空気が立ち上っていたのだった。

まるで巨大な巻き貝のなかに迷いこんだように、
旧戦艦の心臓部である大きなボイラーの内部にはいっての実技講習が終わったのは
午後の3時ごろだった。わたしは語られた内容をほとんど何も聴いていなかった。
覚えているのは終始にこやかなその教官が全身から発する驟雨のような清冽さと
向かい合う人を射竦めざるをえない曇りのない眼の光だった。
彼は、ネジ一本が落ちるようなささいなことにも命がけであるという極度に張り詰めた真摯さだけを
わたしたちに教えていた。
たかだかボイラーごときの実習にすぎないのに、間違いなく彼の精神はすべての振る舞いに命がけだった。
そのような人物の前でわたしたち実習生は金縛りにあったように従順に、ときには一生懸命に手足を動かした。
わたしは帰りの電車のなかで脱力していた。
なんだあれは、なんだ、あれが軍人というものか。しかもあれでもまだ技官クラスだ。
かつて、
波乱万丈の人生のなかで一度たりとも経験したことのないタイプの人間だった。
世の中には異次元の人間がいるものだなと
あらためて感慨を覚えた。
そういえば休憩時間に書類を運んできた部下も深く上司を尊敬していることが態度でわかった。
ああいう人物と一緒に仕事ができれば死んでもいいと思う人がいても
べつに不思議ではない。
あれからもうずいぶん年月がたつ。おそらくもうあのような人間は、時代と共に死滅したのでは
ないかとはおもうのだが、ひょっとしてまだどこかにあのような人間が生きていて
じっと次の出番を待っているような気がしないでもないのだ。








自由詩 海上自衛隊横須賀技術学校にて Copyright 室町 2022-02-28 05:55:37
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