甲府少年刑務所未決房
室町

ずいぶんむかし、ちょっとした間違いでわたしは甲府刑務所の未決房に入れられたことがあります。
未決房とは要するに有罪か無罪か決まっていない裁判中の被告を留置する拘置所のことです。東京のように刑務所と拘置所を別々に建てるほど予算に余裕があるところは別として山梨県のようなところは当時、刑務所の施設の一部を拘置棟にあてていました。それから「少年刑務所」といってもこれは通称で、少年が収容されているわけではないのです。ほとんどが平均年齢三十前後の者ばかりでした。今は懲役10年以下の懲役囚向け刑務所になっているようですが、当時は、比較的歳の若い、いわくつきの重犯罪者が全国から集められていたわけです。
断って置きますが、(自分でいうのもなんですが)、わたしは非常に真面目な男で刑務所なんかに入れられるようなタイプとは真逆な人間です。あらゆる意味でそこに収監されている囚人とは正反対の存在でした。
じゃあどうしてそんなところに入ってしまったのかといいますと、ずばりお金です。お金といっても泥棒や横領をしたわけじゃありません。そんな度胸はありません。詳しくは話せませんがある罰金を払えなかったのです。その罰金を裁判所に支払うまで1日につき2000円の計算で二ヶ月間の留置処分を言い渡されていました。地獄の沙汰もカネ次第とはよくもいったものです。
もちろんこれは国家による、貧乏人へのただの嫌がらせでした。だって、わたしを拘置しても食事代や電気代など余計な費用が国家負担となるだけなのです。それにもかかわらず罰金が払えない者を1日2000円として留置拘束するのは「思い知ったか、このバカ。カネを払わないとこうなるんだぞ」という脅しでした。刑法とは道徳の問題じゃなく資本主義社会の問題なのです。
ただ、救いは未決房が個室だったことです。そこで毎日、デパートなどで使われる紙袋を囚人につくらせていました。袋貼りなどいくら頑張っても1日百円ほどにしかならない内職のようなものですが、退屈しのぎにはなりました。そのままそこでおとなしくしていればよかったのですが、風邪をこじらせてしまい刑務所の敷地の端にある病棟に移されました。
この病棟も個室でしたが、困ったことに刑務所の囚人たちと混合だったのです。
体操の時間になると個室の扉が開かれ、陽当りのいい、草むした小さな広場に集められました。全員が白い病衣を着ているものの、その人相の悪さといったらありませんでした。丸坊主に入れ墨といった者がほとんどでした。端正な顔立ちの者は一人もなく、ブルドックや狆のように顔がひんまがったような、なんともいえないひねくれた顔立ちの者ばかりが白日の下で眉をひそめて互いを見合っているのでした。
体操の時間といっても看守は体操をさせるわけでもなく、わたしたちはただ、ぶらぶらとまぶしい顔をして手持ちぶたさに立っているだけでした。ほとんどの連中は敏感にもわたしを見てすぐに自分たちとは180度別世界の人間だと悟ったらしく、いっさい話の輪には入れてくれませんでしたし、(もちろんこちらも関わるつもりはありませんでしたが)向こうからも話しかけてくることはありませんでした。聞き耳を立てているとほとんどが極道世界の情報交換といったもので、その世界とはまた一味違ったサイコパスのタイプの連中は少数とはいえ、暗い湿った顔つきでぼそぼそと小声で何事かを話し合っているのでした。

病室では内職作業はなくわたしは毎日、本を読んでいました。しかし他の病室の人間は退屈らしく、鉄格子の窓に頭を押しつけて隣の男と互いに信じられないような会話ばかりやっていました。
どこやらの会社の社長を土木工事現場の掘削跡に埋めたとか、埋めないとか、いやあ、あれはバレないと思うんだけど、なにか日々是好日のような朗らかな声で、体操の時間にみた、坊主頭でジャガイモのような顔をした愛嬌のある、でも、あまりぱっとしない男が喋っている。見栄をきった大ぼらだと思っていたら、それから十日ほどたって甲府県警が埋められていた死体を発見したということで男を再逮捕に来たりするのでした。
病棟に移って一週間ほどもすると、じぶんでいうのもなんですが色白で結構端正な顔をした、しかも温和な雰囲気をもつ文学青年っぽい態度のわたしに関心をもつ者もでてきました。
最初に話しかけてきたのは蜘蛛の巣の入れ墨を大事なちんぽこの先の人並み外れた大きな亀頭に彫っている男でした。
「いやあ、ここが一番敏感でな。死ぬより痛い。ここに入れ墨彫れるやつそうおらんで」関西弁でした。
この男も凶悪な人相の割に笑えば愛嬌があり、話も、講談師のように面白くて意外にうまが合うと思ったものです。
「デパートいくねん。ほんでな、可愛い少年みかけたらあとついていってトイレに引きずりこんでおかま掘ってまうんや。いやとはいわせへん」
とんでもない野郎だとは思っても語り口が信じられないほど陽気なので、ついついつられて笑ってしまう。ずっとあとで気づいたことですがひょっとしたらわたしもこの男に狙われいたのかもしれません。
それからよく話すようになったのはどこやらの暴力団員だという歯がぼろぼろに欠けた男でした。歯がだめになったのは覚醒剤のせいだと自分でいっていましたからそうなのかもしれません。
男は右腕を包帯で巻いていました。刑務所ではプレス作業をしていたそうですが、ちょっとした不注意で肘のところから腕を落としたというのです。わたしたちの社会でこんな事故があれば保証金などが下りるのですが、刑務所では逆に懲罰を食らったといいます。懲罰の理由は不注意操作とか。そんな罪があるのですね。それで二週間、懲罰房に入れられたというのです。笑ってしまいました。逆さまじゃないですか。男には少しどもりがありました。
「こ、このあいだ女房が面会に来て、わしの腕がないのをみて、もう離婚したいいうんだが。どう、どうしたらいいとおもう?」
この男もそうですが刑務所で出会った男たちの中でも覚醒剤に溺れて捕まった者たちはおしなべて頭の神経をやられているらしく、愚連隊や暴力団の人間にみられる刃物のような切れ味の鋭さを失くして人の好い好々爺みたいになっている者がほとんどでした。
「ちょっと薄情な奥さんですね。まあ、ふつうはどちらか一方だけの宣言で離婚は成立しませんけど.....言いにくいですが、夫のほうに懲役などの瑕疵があると成立することもあるようです」
恐る恐るそんなことをいうと、でかい図体をした男が涙目になるということもありました。
ゴルフ会社の社長を誘拐して造成地に殺して埋めた話を快活に語っていた隣の房のじゃがいも顔にごま粒のような目がついていた、考えてみればゾッとするような顔だった男が再逮捕されて消えてからしばらくすると別の囚人がそこにやってきました。
看守が去ると隣の男はいきなり窓越しに声をかけてきたのです。顔は見えないのですが押し殺しただみ声でした。
「おい」「おい」と何度も声をかけるので、仕方なく返事をすると、
「甲府の鳩の色は何色だ?」という。
わたしは眉をひそめました。またしてもとんでもないやつが来たらしい。
「黒だと思いますが」と慎重に答えると、
「黒? 白だろ」という。
わたしはうんざりしました。なにかのいびりのつもりなのか。しようがないので、
「はい、白です」と返事をすると、
「ウソつけ。黒だろが!」と怒鳴り返されました。
黙っていると、
「おい、返事がないぞ」という。
わたしはおとなしい人間で犯罪など犯す度胸もなにもないのですが、突然、理由もなくキれるという不思議な性向がありました。ケンカが強くもないのにそれが原因で子どものころはよく怪我をしたものです。
わたしはとっさに、
「うるせえ、ばかやろう!」と返してしまって、あ、と思ったときにはもう遅い。
「おうおう、おうおう」と相手は歌うように喜んでいる。
「いい度胸じゃねえか、体操の時間、待ってろよ」という。それから他の房の男と話はじめた。それがまた、おれは少林寺拳法何段で、ケンカに敗けたことがないとかどうとか自慢げに話している。
ああ、これはたいへんな相手にケンカを売ってしまったものだと後悔したのですが、こうなったら仕方がない、なるようになるまでだと腹を決めました。
ところが体操の時間になり病棟の全房室が開錠されて全員が廊下にでたところで隣の男をみると
たしかに背は少し高いがひょろっと痩せた、ひ弱い感じの青白い男でした。どう見ても武道の達人には見えない。しかもわたしと目を合わせようとしない。
なんだこいつと思いました。皆の見ている前で問い詰めてやりたい気持ちになりましたが、わたしもあと数日で勾留期限がくるので無茶もできません。ケンカなんかになったら拘置所に舞い戻るなんてこともありえます。そのまま知らぬふりをして広場に出ました。
男は知り合いの囚人たちと話しをしていましたがとうとう最後までわたしの方をみることはありませんでした。はてさて、いったい隣の男はどうしてあんなケンカをふっかけてきたのだろう。まったくの謎でした。そして体操が終わって房に戻ると、相変わらず他の房の人間に声をかけ大ぼらを吹いてケンカ自慢をするのでした。
それから数日したある日のこと、半醒半睡の状態でうとうとしていると、驚いたことにわたしが鉄格子の病室の外に立ってベッドに仰臥しているわたしを見下ろしていました。幽体離脱ってこれかあと思っているじぶんがいるのですがとてもだるいし肢体感覚が不自由なのです。なにか網縄にからめとられているような気分でそれを振り切るようにもがいていると、ようやく目が覚めました。ひどく汗をかいていました。
深く息を吸ってしばらく扉とは反対にあるトイレの窓のほうを向いて芝生のつづく敷地をみていました。
だれかが窓越しにぼそぼそ話し合っていました。
「明け方に執行されたらしいな」
「肺病だったんだろ」
「それでも法務大臣がハンコ押したらアウトだよ」
「病室に来たばかりなのになあ」
そんなことをいってます。
どうやら隣の男のことらしいとわかりました。いつもうるさいのに朝からコトリとも音がしなかったからです。
拘置されてから本ばかり読んでいたわたしは、あらためて病室を見渡しました。明治45年に橘町から移ってきてから半世紀以上もたつ建物でした。そのあいだ、いったいどれだけの囚人がこの病室から消えていったのか。いつもより外の風景がまぶしく白くみえました。
数日後、わたしは甲府少年刑務所を出ました。迎えに来るものなどだれもいません。そんな人がいるのなら罰金のたてかえを頼んでいたでしょう。
最初に門の前でタバコを思い切り吸い、それから刑務所前の、道路を隔てた向いにある定食屋でうどんを食べたのですが、最初は不思議な味がしました。
しかし食べているうちに覚えのある、あの温かなうどんの味が舌と喉にしみていくのでした。


自由詩 甲府少年刑務所未決房 Copyright 室町 2022-02-24 12:12:03
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