重度のシンコペーション
ホロウ・シカエルボク


干乾びた野良犬の死骸と、ひび割れた路面の暗示的な形状、捻れて消える泥酔した下層階級者の夢があとに残すものは、ショー・ウィンドウの微かな脂の染み、カウント・アウトのような潰れたカフェのテントが風に煽られて立てるノイズ、二月は寝惚け眼みたいな、澱んだ色に終始塗り潰されて…喉元に張り付いたカフェインは思考をアンバランスに改変する、意志と意地のすれ違い、取り残される言葉の恨み言が首筋に出来る小さな蕁麻疹に化ける、窓ガラスの霞の中に予言が隠されている、道端のシンガーはディランを歌っている、だけど、ねえ、時代なんてもう変わることはない、人間なんてもう喋る能面に過ぎない、最小公倍数の生命、プログラムの範疇だけの出来レースさ、昼飯を噛んで、リフだけの音楽に身を委ねた、時代は変わらない、自分だけが変わり続けていればいい、同じ色でも上塗りし続けていれば、印象だっていつしか変わるものだ、同じようで違う、確かにその先に、こちらを窺うような視線が隠れている景色、運命は必ず区切られている、連続する魂の為に―氷漬けで発見された絶滅種は、生きていた頃と同じ夢を見ているだろうか?もしかしたらそれは真っ黒に塗り潰された視界かもしれない、それは孤独ですらなり得ない、孤独など所詮、対象物があって初めて成り立つものだ―自分自身の核を、そのひとかけらでも認識すれば、人は誰でもないものに成らざるを得ない、誤差は調整されるべきものではない、それはさらに押し広げられていくべきものなのだ、己の中に道を持たない人間はそのことを認識出来ない、シンガーは最後のリフレインを残して突然歌うことを止めてしまった、彼は歌として生きることを諦めてしまったのだ、時代は変わらない、そうさ、諦めたほうが賢いのかもしれない、あとは、それが誇れることかどうかって問題だ、突き詰めてみるべき問題ですらない…分るよね?ある日、たったひとつの動作の合間に、十年の時が流れたような気がした、そんなことは初めてのことだった、あの時、間違いなく自分の中を、それに近いなにかが流れていったのだ、その実態が理解出来るのはまだ先のことだろう、いまはまだきっと、どれだけ頑張ってもそこには辿り着けないだろう、おそらくあれは、なにかしらの変化の瞬間だったのだ、道は静まり返った、日曜の午後とは思えない静けさだ、やがてどこかのトタン壁を叩く雨粒の音が聞こえて、ああ、そういうことだったのかと気付く、きっとそれはもっと早くから降り続いていたのだ、カーテンを閉め切ったままの部屋では外界を知るのが遅れる、けれどなにも日に焼けることはない、なにを守ればいいのかという話だ―そうさ、大事なことはいつだってそんなもののはずさ、示された方角ばかりに動く傀儡じゃない、自分の爪先がどこを向いているのかってことぐらい、歩く前から分かっておかなくちゃ…流行病はビジネスになりつつある、テレビのニュースはいまや山師と同じさ、思うように踊ってくれるやつらの数が多過ぎるんだ、皆中毒みたいになっちまってる、愉快なほどに鵜呑みな世界、息が出来ないと気づいたときにはもうすべてが遅いんだ、コーヒーをもう一杯、蒸気が喉笛を侵略し、ロンメルの夢を見る刹那、けたたましいパトカーのサイレン、もういっそのこと、人生も罪名で括ればいい、やつらは多分文句を言ったりしないさ、手を叩いて乾杯するんだ、肝心なところを丸投げしただけの日々にね―人が革命をやり始めたのは、人差し指だけで誰かを殺すことが出来るようになったからさ、文明はいつだって無責任だ、それが皆を勘違いさせるのさ、マグカップを洗って片付ける、小さなキッチンの窓からは果てしない稜線とその上に広がる薄曇りの空が見える、世界がいつでもそれだけのものであればいいのにな、けれど気が狂いでもしない限りそんなものは手に入れることは出来ないだろう、だから無性になにかを書きつけたくなるのかもしれない、椅子に腰をかけていたが実際に行われていたのはなにか違う出来事だった、でもそれはおそらくどんな努力をしても現実的な認識として語ることは出来ないだろう、人生の終わりまでにはまだ長い長い道のりが続くのだ、ねえ、混沌には正解が無い、そのまま描かれる以外にはね―だから人生は愉快で、実りが多い、したり顔のシンプルな話なんか信用しないことだ、本当のシンプルさとはカオスの極限にあるものだ、究極のノイズがサイレントと同じ印象を与えるみたいにね…俺はノイズの中で生きている、いつだってそうさ、いつだってそうして―辿り着くべき果てしない世界の夢を見ている、だから歌は始まるだろう、いつだっていま初めて生まれたと感じるみたいに、産声のように詩は吐き出されるだろう、そうして、その蠢きの中で、生命のスピードと思考の果てのベスト・チューニングの片鱗が、脳髄の中で美しいハーモニクスを奏でながら、世界はまた違う色に塗り替えられていくはずさ…。



自由詩 重度のシンコペーション Copyright ホロウ・シカエルボク 2022-02-13 13:42:20
notebook Home 戻る  過去 未来