私家版田中修子詩選
室町

ポイントを沢山とったものは、わたしの好みにあわなかった。『インディアン・サマー』など、絶賛されているが、わたしには陶磁器に描かれた絵のようにしかみえなかった。わたしは上絵ではなく焼き物の土の質や焼け具合をみたいと思った。あれこれ考えあぐね、ふと思いついてポイントを1つしかとっていないものだけに絞って読んでみた。
ポイントが1つのものはわずか五つしかなかった。でも、これが正解だった。この五作品を投稿日順にならべてみると絵になった。これをもってわたしは私家版田中修子詩撰としたい。


   ① としをとったら
              田中修子

 わたしかなり年を取ったら
 おばあちゃんみたいな
 きらきらに
 透き通った灰色の
 髪の毛になろう

 それからもっと年を取ったら
 転んで足を悪くするかな
 そしたらわたし
 茶色につやつや光る杖を
 特注で注文しよう

 さいごにいよいよ年を取って
 何月かもわからぬような天井を
 見ることしかできなくとも
 わたし総天然ないろを残し
 ちゃきちゃき次へ歩いてゆくんだ


  ② 商店街にて
            田中修子

 魚屋の先
 海から引き揚げられた
 青と赤が踊つている

 な、にひきで
 微笑いあつて居るから
 こちらでも寂しくはないのだらう

 まつくらのなか
 青と赤をつれて帰り
 ひとりの俺の腹に泳いでもらつた

 ---

 おそれおおくも
 室生犀星氏の
 パスティーシュ


  ③  ことばあそび五
                田中修子

 地球が滅びるんじゃないかと
 ドヨンと曇った気分だったが
 たんに風邪を引いただけなの
 枕元に父の差し入れのミカン
 ひとりの部屋を温かく照らす
 オレンジ色のランプみたいに


  ④ ぱじゃまものがたり
                 田中修子

 あたしは
 きふるされて
 くたくたになりすぎた
 白地に青い花柄の
 綿のぱじゃま

 ひとめぼれされて
 このおうちにやってきたわ

 このひとと
 ねむるときずうっといっしょ
 かなしい夜さみしい夜
 たくさん見たふしぎな夢
 こぼした涙のぶんだけ染み込んでいる

 あるひ
 なにをおもったか
 黒い糸をとおされた
 銀色の針がやってきた

 ちくちくぬいぬい されている

 そで えり すそ そでぐち

 ちくちくぬいぬい へんなきぶん

 「もうしばらくいっしょにいて
 ぱじゃまさん」

 とりあえずソファのカバーになってあげる

 黒い糸はアクセントに
 しかしこころがまがっているからか
 まっすぐに縫われていないわ
 しかたないわねえ

 さいごは
 ぬいぐるみになってあげるわよ

 そうして
 また
 いっしょにねむってあげるわよ


  ⑤  金色の額縁
               田中修子

 眩しい
 イチョウの葉が、金色に
 雨のように舞って、舞って
 そのなかに入れずに ただ
 見惚れていた から 憧れて
 手を伸ばす

 いったいなんなのでしょうか

 金色に降りしきるイチョウのなかで
 ひらひらと踊ってるみたいに、背に、澄んだ羽はありますか


 うずくまっています すべて
 遠くから
 ああ、あの内がわに、舞い散りたい、踊りたい、と
願うだけでよかった

 耳に優しいピアノの音が聞こえる
 世界を憎んでいた、だからきっと、写真は綺麗だ

 なにもかも
 未満にもすら、なれない

 だから

 きれいごとをならべたて
 切り刻む
 (傷つけあうことで伸びる背から逃げようとしているなぜなら
 子どもだから--子どもだからなのよ)
 嘆き悲しみ花束を抱える
 子どもの人でなしにかかわった幸福は

 よくねむれますように
 みずからの幸福を祈れるように

 そこが
 降りしきる金のイチョウの乱反射で
 目を細め

 さよなら


血が逆立するようなおどろおどろしい物語も、一生懸命に気遣って書かれたきれいきれいな物語も、背景には彼女固有の「母親の物語」がある。とはいえそれは彼女の本質ではない。ポイントが1つしか付かなかったこの五編の詩を読めばわかるように彼女の本質は別のところにあった。しかし彼女はポイントがついたうれしさに「母親の物語」を語ることがなにか詩的なことのように誤解してしまったのかもしれない。

 わたし総天然ないろを残し
 ちゃきちゃき次へ歩いてゆくんだ

どうしてこの太陽のような明るさと美しさにポイントを与えられなかったのか。わたしはわたしに腹を立てている。
田中修子の詩の特徴としてこの5つの詩にも色彩が出てくる。赤・青・白・黒・金である。しかも形容のために使っているというよりは色彩そのものを志向しているふしがみられる。昭和初期の童謡詩人、金子みすゞもその全作品の半分以上が赤・青・白・黒・金で彩られているという研究がある。かといってわたしはいかがわしい色彩心理学などを使って怪しげな精神分析などを展開するつもりはない。田中修子はまばゆいばかりに豊かな色彩を蚕のように織っていったひとだった。それは生きることへの意志、希望でもあった.......と都合よくホラ話を収めるつもりも又ない。ただ、そのあざやかな群色のきらめきに、あらためて目を見張るばかりです、といっておこう。


散文(批評随筆小説等) 私家版田中修子詩選 Copyright 室町 2022-02-11 13:39:28
notebook Home 戻る