二〇一九年五月一日 「パソコンを買い替えたので」
パソコンを買い替えたので、ネット接続がいちいち面倒なことになっている。ルーターがくるまで、パソコンを使わないので、4、5日か、一週間ほど、パソコンをいじらない日がつづく。ネットも見られないのは、ほんとにわずらわしい。
二〇一九年五月二日 「手紙」
友だちの詩人に出した手紙の封筒の後ろに、住所のほかに、名前を田中宏輔、田中宏康、田中宏隆、田中宏之、……と書いた。
二〇一九年五月三日 「自殺未遂と詩の出合い」
大学院の二回生のときに自殺未遂をした。化学を専攻していて、実験室にあったシュウ酸をのんだのであった。致死量の二倍を服用したのだが、救急病院に運ばれて助かったのであった。病室にいたとき、友だちが本を何冊か持ってきてくれた。そのなかに詩のアンソロジーがあって、呉 茂一さんが訳されたサッポオのつぎの詩が含まれていた。
夕星は
かがやく朝が(八方に)散らしたものを
みな(もとへ)連れかへす。
羊をかへし、
山羊をかへし、
幼な子をまた 母の手に
連れかへす。
これが、ぼくと詩とのはじめての出合いであった。しかし、当時はまだ自分が詩を書くなどとは思いもしなかったのであった。自分が詩を書いたのは、27、8歳のころで、自殺未遂をしてから5、6年してからのことであった。大学院を出てから、小説を書いていたのだが、元彼に、おまえの書いているものは詩だと言われて、そのとき本屋に連れて行かれて、雑誌のユリイカの投稿欄を見せられて、ここに投稿しろと言われて、投稿したのだった。それが、ぼくが27、8歳のころのことで、投稿したさいしょのときからずっと投稿欄に採り上げてもらって、(一度だけ、載らなかったのだが、それはぼくが、まさか自分の書くものが載るとは思わずに、投稿しなかったときの一度だけである。89年の9月号であった。選者は吉増剛造さんで、ぼくが投稿しなかったことをその9月号の選評欄に書いてらっしゃった。けっきょく、ぼくがユリイカに投稿したのは、89年の8月号から90年の12月号までのあいだのことであった。選者は、吉増剛造さんから大岡 信さんに代わった。)91年の1月号で、大岡 信さんに、ユリイカの新人に選んでいただいたのであった。
二〇一九年五月四日 「コアラちゃん」
コアラちゃんと呼ばれている子がいた。25才くらいで、発展場のポルノ映画館で、だれも横に坐っていないおっさんの隣に坐りにいくような子だった。ぼくがどうしてあんなおっさんがいいの、と訊くと、「かわいそうだから。」という返事が返ってきた。ぼくが30代のときの話だ。ひとには、いろいろあるのだなと思った。
二〇一九年五月五日 「神様に紹介してもらう診断」
(神・Д・) 田中宏輔?
(神 ˘ ω ˘ ) もちろん知っておる
(神・ωー) あれじゃろ
(神・ω・) えーと
(神・ω・) あれじゃよ
(神・∀・) 天使じゃ
#神様に紹介してもらう診断
https://shindanmaker.com/822030
二〇一九年五月六日 「洋梨形の男」
グレッグ・イーガンの短編集『TAP』を読み終わった。つぎの奇想コレクションの再読は、ジョージ・R・R・マーティンの短編集『洋梨形の男』である。マーティンのタイトル作品は、なぜかしら、グラスの『ブリキの太鼓』のスパゲッティーのエピソードを思い出させるのだが、どうしてかは、わからない。
ことしの3月に、岩波文庫から、『20世紀ラテンアメリカ短篇選』が出てたんやね。知らんかった。あした丸善かジュンク堂にでも行って、買ってこようっと。さっき行って見てきたら、西院の角の書店にはおいてなかった。きょうは、寝るまで、マーティンの短編集を読んでおこう。
ぼくがユリイカに投稿していた1989年から1990年までは、原稿のサイズ指定がありました。A4だったような記憶があります。いまもサイズ指定があるのかどうかは知りません。
河出文庫から、『ラテンアメリカ怪談集』も出てたね。買ってなかったので、あした、岩波文庫を買うついでに買ってこようっと。あればいいんだけどね。
二〇一九年五月七日 「考察」
人生は芸術を糧としているが、芸術もまた人生を糧としている。互いに種子であり、花でもあるのだ。
二〇一九年五月八日 「波と暮らして」
岩波文庫『20世紀ラテンアメリカ短篇選』と河出文庫『ラテンアメリカ怪談集』をジュンク堂で買った。きのう、ジョージ・R・R・マーティンの短編集を半分くらい読んで、イーガンよりずっと読みやすいと思ったのだけれど、今晩はラテンアメリカの短篇を読もうかなと思う。解説をさきに読んでからだけど。
パスの「波と暮らして」に再会するとは思わなかった。サンリオ文庫の『エバは猫の中』に入ってて、読んだ記憶があるけれど、友だちにあげた本なので、読み返すことがなかったのだけれど、『エバは猫の中』で唯一記憶していた短篇だったので、河出文庫で再読できることになって、ほんとうにうれしい。
二〇一九年五月九日 「ムヒカ=ライネス」
いま、ムヒカ=ライネスの短篇『吸血鬼』を読んでいるのだが、いたるところで笑いが止まらず、本をおいて、ニタニタしている。むかし、『ボマルツォ公の回想』を読んで途中でほっぽりだしたのだが、読み返す必要があるなと思った。『吸血鬼』、恐怖物のはずなのに、笑いをこらえられない面白さなのだ。
いまも、ムヒカ=ライネスの短篇『吸血鬼』を読んでいたのだが、これから日知庵に飲みに行くためにお風呂に入る。『吸血鬼』途中でほっぽりだす形になるけれど、帰ってきたら、つづきを読むつもりだ。怪奇もので、こんなに笑ったのははじめてではないだろうか。作者が笑わせるつもりだったのは確実だ。
二〇一九年五月十日 「ムヒカ=ライネス」
日知庵から帰ってきて、ムヒカ=ライネスの短篇『吸血鬼』のつづきを読んだけど、まったくおもしろくなかった。こんなことって、あるんやね。前半、あれほど笑かしてくれたのに、後半、まったくおもしろくない、なんて。なんてことだ。
二〇一九年五月十一日 「宏」
父親の名前が「宏(ひろし)」で、その長男のぼくの名前が「宏輔(あつすけ)」で、弟ふたりの名前が次男の「宏策(こうさく)」三男が「宏康(ひろやす)」なんだけど、あとひとりでも生まれてきたら、いったい、どんな名前を付けてたのか興味深い。「宏(ひろし)」に、「宏(あつ)」「宏(こう)」「宏(ひろ)」以外の読み方があるのかどうか。
二〇一九年五月十二日 「波と暮らして」
パスの「波と暮らして」を読み終わった。むかし、サンリオ文庫の『エバは猫の中』で読んだときの記憶はほとんどなかったが、傑作だったということだけは覚えていて、こんかい、『ラテンアメリカ怪談集』で読み直して、あらためて傑作だなと思った。パスの詩や詩論と同様に、わかりやすくて面白かった。
二〇一九年五月十三日 「プログレ」
プログレにはまったのは、中学時代に聴いたピンク・フロイドの『狂気』からかな。その後、高校生になり、フランスやイタリアやドイツのプログレも聴くようになった。プログレのどこがよかったんだろう。転調かな。組曲形式もよかった。ぼくの書く詩も、プログレに多大な影響を受けている。
二〇一九年五月十四日 「アイスキャンディーが5円だった。」
ぼくが子どもだった頃、アイスキャンディーが5円だった。少年ジャンプは90円くらいだったように記憶している。それとも60円かな。いまから50年以上もむかしのことだけれど。
二〇一九年五月十五日 「20世紀ラテンアメリカ短篇」
岩波文庫の『20世紀ラテンアメリカ短篇選』を255ページまで読んだけれど、ちっともおもしろくない。他の短篇選はけっこうおもしろかった記憶があるのだけれど。ぼくが読み手として厳しくなってきたってことなのか、感性が鈍ってきたってことなのか、わからないのだけれど。
二〇一九年五月十六日 「同級生」
日知庵からの帰り、阪急電車に乗って帰るとき、電車のなかで、「あつすけ!」と呼ばれて見たら、見知らぬおっさんが、にんにくの臭いをさせながら声をかけてきたのだった。見知らぬ人間から声をかけてこられることが、以前にもあったので、「おお!」と返事したのだけれど、見覚えがなかった。部屋に戻って思い出したら、高校時代の友だちで、後藤くんというのがいて、ごっつあんと呼んでいたのだが、ごっつあんだったことに気がついた。高校時代は丸顔でかわいらしかったのだけれど、電車のなかで声をかけてきた人物は、年老いた面長の汚い顔つきになっていた。残念。
二〇一九年五月十七日 「20世紀ラテンアメリカ短篇選」
岩波文庫の『20世紀ラテンアメリカ短篇選』の最後から2番目に収録されているブライス=エチェニケの「リナーレス夫妻に会うまで」は面白かった。むかし読んだ長篇の『幾たびもペテロ』も傑作だった。どのような作品かは覚えてないが、大量に引用してルーズ・リーフに書き写していたことを覚えている。
ブライス=エチェニケの一篇があったことだけでも、岩波文庫の『20世紀ラテンアメリカ短篇選』を買った価値があったかなと思われた。さて、きょう寝るまえの読書は、この短編集の最後に収録されているビオイ=カサーレスの「水の底で」である。おもしろいかな。どうだろう。おもしろければいいなあ。
ビオイ=カサーレスの作品「水の底で」は、ふつうにおもしろい程度だった。しかし、まったくおもしろくなかった、アナ・リディア・ベガの「物語の情熱」が収録されている作品のなかでもっとも長いことにはびっくりした。2度読んだのだが、意味がまったくわからない物語なのだ。おもしろくもなく、だ。
岩波文庫の『20世紀ラテンアメリカ短篇選』アナ・リディア・ベガの「物語の情熱」3回読んだけど、さいごの1ページがどうしてもわからない。引用を多用した文章はおもしろくなくはなかったのだけれど。1時間半かける3、計4時間半は無駄な読書時間だったな。
二〇一九年五月十八日 「スパイ道具」
子どものころ、スパイ道具とかのおもちゃってものを買ったことがある。水に溶ける紙だとか入っていたと記憶してる。基地もあったな。いまの子どもにはないんだと思うけど。
二〇一九年五月十九日 「藤井晴美さん」
藤井晴美さんから、詩集『邪魔者は電気を消せ』を送っていただいた。旺盛な制作力にまず驚かされたが、内容も、ぼく好みの詩句が連綿とつづく。詩句にあらわれた言葉から、ぼくと同じような読書体験をなさっておられるのかなと推測する。それにしても旺盛な制作力。インプットの量が計り知れない。
二〇一九年五月二十日 「フリッツ・ライバー」
きょうから、寝るまえの読書は、奇想コレクションの再読で、フリッツ・ライバーの『跳躍者の時空』 ライバーの短篇は、楽しんで読んだ記憶がある。シェイクスピアものの短篇だった。内容はほとんど覚えていないが、読んでよかったなという記憶はある。奇想コレクションの再読、残るは、あと2冊。
二〇一九年五月二十一日 「こんな夢を見た。」
こんな夢を見た。政府がぼくの部屋を取り壊していて、本やCDをすべて破棄していたのだ。気づいたぼくは、役人に必死で、弁償するように要請したのだった。この場合の弁償は、もちろん、もってた本やCDを取り戻してくれることだった。ぼくらしい、へんな夢だった。
二〇一九年五月二十二日 「渡辺玄英さん」
渡辺玄英さんから、詩集『星の(半減期』を送っていただいた。物語ではないような物語がいくつも収められていて、ぼくのように物語のような物語をついしてしまう癖のある書き手には、参考になる部分が大いにあると思われた。
二〇一九年五月二十三日 「ロバート・F・ヤング」
ライバーの『跳躍者の時空』を読み終わった。まあまあの感じ。奇想コレクション、最後の再読、残るは1冊。ロバート・F・ヤングの『たんぽぽ娘』少なくともタイトル作品は傑作だった。きょうは、解説だけ読んで、もう寝る。
二〇一九年五月二十四日 「友だちに似る」
小学校のときのことだけれど、親しくなった友だちに似るぼくがいた。しぐさまで似ていくのだった。高学年になってようやくそのことに気がついて、直したけれど。これは、ぼく特有の現象だったのだろうか。ほかのみんなも、そんなところが、強弱はあろうけれども、あったのだろうか。
二〇一九年五月二十五日 「平尾悟史くん」
中学生のときに好きだった友だちに平尾悟史くんがいた。平尾くんは、ぼくより身体が大きくて、やさしい性格だった。一度だけ抱き着いたことがあったけれど、べつにそれ以上のことはなくって、抱き着いたあとでも、ふつうの友だち関係でいられた。いまは中学校の英語の先生をしているって聞いてる。
二〇一九年五月二十六日 「同性愛の目覚め」
ぼくが同性を意識したのは、ぼくが小学生の3年くらいのときのことで、小学校のグラウンドの近所に住んでいた同級生の友だちのことが好きだった。足が短くて、三頭身くらいしかないような感じで、小学校の3年生でもがっしりしていたと記憶している。もう名前も顔も覚えていないけれど、ぼくの記憶では逆光で、ウルトラマンのように股をひろげて立っていた記憶がある。ただそれだけだけど。小学生のとき、ぼくは、身体が小さくて、身体の大きい級友に惹かれた。いちばん好きだったその友だちは、三頭身で、足がめっちゃ短かったけれど、逞しい感じだった。いま、若い男の子たちがパンツずり落として歩いてるけど、彼は、なかみがそんな感じだった。いま、どうしてるだろう。
二〇一九年五月二十七日 「初体験」
初体験は中学の一年生のときのことだ。ともだち3人でキャンプに行ったときに、大人用の寝袋を持ってきた米倉くんが、いっしょに入って寝ようと言って、ぼくといっしょに大人用の大きめの寝袋に入って寝たときのことだった。米倉くんの方からぼくにキスしてきて、チンポコをさわってきたのだった。ドキドキした。でも、米倉くんとのことは、それ一回で終わってしまって、ぼくはなんだかさびしい気持ちになったことを覚えている。高校は別々だったけれど、ふたりとも柔道部だった。
二〇一九年五月二十八日 「ロバート・L・フォワード」
ロバート・F・ヤングの『たんぽぽ娘』を読み終わった。これで、奇想コレクションの読み直しが終わった。きのう、『たんぽぽ娘』を読み終わってから手にしたのは、ロバート・L・フォワードの『竜の卵』だったのだが、コンピューターに対する扱い方が徹底的に古い模様で、作者は物理学者なのに残念。
二〇一九年五月二十九日 「レイ・ラッセル」
フォワードの『竜の卵』まあまあ面白かった。これから、レイ・ラッセルの『インキュバス』を再読する。高校生時代に読んだきりで、主要なアイデアも覚えているが、それ以外の部分は忘れている。かなりエロチックなホラーものだった記憶がある。いま読んでも、そうなのかどうかは、わからないけれど。
二〇一九年五月三十日 「ちんちん腋臭」
ちんちん腋臭というのがあって、ぼくが大阪のゲイサウナの北欧館に通っていたときに遭遇した青年が、そうだった。陰毛のあたりが強烈に臭かった。石垣島の出身らしくて、島では家にカギをかけないんだよって話をしてくれたことを覚えている。かわいらしい顔をしていたので、おしいなと思った。ぼくも彼と同じくらいの20代なかばころの話だ。
二〇一九年五月三十一日 「百年の孤独」
ラッセルの『インキュバス』再読し終わった。エロス全開の結構はなんというか、えげつないもので、これがベストセラーにもなり映画にもなったのだというのは、ちょっと読者界が甘いかなとも思えた。きょうからの再読は、マルケスの『百年の孤独』。『族長の秋』は3回読んだが、「百年の孤独」は二度目。ただし、1回目は途中でほっぽり出してる可能性がある。きれいに、記憶からなくなっているのだ。読んだ記憶がない。もしかしたら初読の可能性もある。