日記 2022.01.10(月) 祝日
田中恭平

2022.01.10.(月) 祝日

 十日、元旦からの魔法も消えて、語弊があるかも知れないが、平凡な日々にかえって、自己の力をもってして、日々のよろこびをつくっていくべき、となる。
 
 まだ朝のシャワーは浴びていない。今日分の自由律俳句を創作して、妻が食事をする、と云ったので、じぶんでトースト二枚をつくり、目玉焼きは妻につくって頂いた。昨晩食べなかった、雪国まいたけの天ぷらの御惣菜が残っていたので頂いた。美味しかった。頂きました。

 昨晩は、夫婦ともどもどうかしていた。妻は言葉に過敏になっていたし、私は私でモチベーションがおかしくて、静かにしていたかった。静かにしていたかったのだが、妻との同居、それは叶わず、わがままやおしつけになっていたこともあった。ここに妻に「ごめんね」と告げ、書いておく。反省だ。私は常日頃から反省が足らない。

 さて、昨日は午前中、本の断捨離を済ませ、寝室がすっきりした。同時、掃除も済ませたから今日とくに手をつけることはない。
 加えて、私が住んでいる市の文芸コンテスト、「市民文芸」に投稿する短歌五首の清書、印字も済ませたので、本当にすることなし。
 日々、隙間時間に、コツコツ座禅、坐っているじぶんとしては、「何もしない」とはとても贅沢なことだと考えている。昔はよく音楽、それも五月蝿いロック・ミュージックを聴いていたが、一周回って、「静寂」というのが最高の音楽体験であることが判る、と、よく似ている。

 数秘、にこっていて、スマフォで今日を占う。昨日読みかえした仏教、浄土真宗の本には占い、祈祷、迷信などに頼らないこと、と、強く戒めていたのであるが、それらにすがってしまうことも又、私の煩悩のなせる業、なのであるなぁ、とも思うのだ。
 確かに、阿弥陀仏の誓願を尊ぶじぶんもありつつ、煩悩のせいで、今日を占ってしまうじぶんがいるのである。

 去年は、仏教を通して、精神世界に深く根ざすことができたとおもう。
 今年は、神道、精神でなく、現世、現実にフォーカスをあてて、勉強する、というのもおかしいが、ええっと、学ぶ、というのもおかしいが、楽しんでいきたいと思った。


 朝シャワー浴びてくる。



散文(批評随筆小説等) 日記 2022.01.10(月) 祝日 Copyright 田中恭平 2022-01-10 09:24:01
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