海の揺籃
由木名緒美
静かな潮の満ち干きが
袂に隠し持つ黒い手帖に蒼い譜面を奏でる
陽炎の傷痕に海月の脚が優しく絡み
波打つ水面に蓋然性の円を結んだ午前零時の次元の窪み
深呼吸は沈む胸の最奥に聳える鍾乳石となり
乳白色の月影が反転した世界の軸足となり目醒めを促す
肺胞は神秘を鈴なりに匿い
女神は杖を振らずに夢を観る
宇宙と大地の繋ぎ目が螺旋状の海流に洗い出され
私達は寸分も違わぬ未来に夢を刺す
奈落の速さが逆巻く渦を巻こうとも
爪痕の浮腫が僅かな呼吸を塞ごうとも
灼熱の砂浜は十字を放たれ夜露の星屑へと散らばってゆく
海が砂を呼び戻すように
巻貝の泡を椰子の葉が吸い上げるように
新たな心音が満ち干く時空に産声を上げるならば
私とは蹲る固有の名詞ではなくて
響き合う世界との和平を促す動詞なのである
眠りは音もなく潮騒をさらい海底の隠し戸を引き開ける
暗号は唯一音のない言葉
母音を飲み込む原始の呼吸の咽び声
母乳を求める人類の暦の始まりの歌