りりい捕物帖
阪井マチ

 その角を曲がったら人の命が縮まるよ、と噂好きに脅されたのを気にしながら、私は暗い汚い細道へ入っていった。建物の壁が全部同じ色に染まっていて気味が悪かった。ぱらぱらと降る雨粒は水滴ではない何かくすんだ破片だった。手帖に描いた地図は目的の場所が黒く塗りつぶされていて、それが私の気持ちを規定しているようで厭になった。

 建物の三階に上がって歩くと表札のない扉が一つあった。その扉以外の壁面や窓をすべて覆うように雑誌の切り抜きと表札がびっしりと貼られていた。特に目を引かれたのは五人組の新人アイドルのインタビュー記事で、将来の希望を訊かれた全員が何も答えずに笑っていた。その記事と重ねて貼り付けられた表札には、近付かなければ読めないほどびっしりと漢字が書いてあった。その中には私の姓も何回か登場しているように見えた。

 部屋の中に入ると椅子が一つあって、座っている者がいて、その頭が大きな茄子だった。見れば見るほど大きな茄子で、オバケカボチャみたいだった。聞いていた通りだ。私は真正面に移動して、そのつやつやした表面をじっくり眺めた。身じろぎもしない。私は自分がここに来た目的を何度も反芻し、決心を固めた。そして、茄子の頭に話し掛けた。
 りりいさん、私をあいつから、

 やめな、と口を塞がれて振り返ると噂好きが立っていた。物陰に連れて行かれてそこから二人で茄子を見た。あれに助けを求めたらどうなるか、知らないで来たんでしょう。半端な聞きかじりはやばいよ。ほら、見ていなさい。そう言われてそのまま二人で半時間待っていると、知らない人が部屋に入ってきた。茄子の人を見つけると慎重に近付き、ややしてから声を掛けた。お願いです、りりいさま。私の貯金を持ち出して失踪した両親を、どうか家に連れて帰ってきてはいただけないでしょうか。

 茄子の人がゆっくりと腰を上げた。何も言わず、目の前に立つ者を一瞥もせず、しばらくそのまま立ち尽くしていたが、やがてそっと歩き始めて部屋から出て行った。慌てて依頼者が追い掛けていった。ほら、私たちも行くよ。噂好きに促され、私たちはその二人の後ろをこっそりついていった。

 茄子の人がまっすぐ向かったのは、依頼者の自宅だった。どうして私の家の場所が分かるんですか、と震えながら依頼者は訊ねたけれど茄子は何も言わなかった。私たちは後ろから見ていたので気づいたが、部屋から出てくるとき茄子は依頼者の鞄の中から携帯電話をこっそり抜き出していたのだ。歩きながらいったいいつ端末の中身を盗み見たのかは分からないが。

 茄子は家の中を滅茶苦茶に荒らしまわった。窓ガラスを割ってさくさく踏みながら床板をひっぺがした。家具家電を洩れなく破壊して、上から水道水をぶちまけた。押し入れから冬用の布団を出したかと思うと、おもむろに着火した。依頼者が号泣しながら鎮火に挑んでいた。

 気が済んだかのように茄子は家を飛び出して、市街地へ向かった。依頼者はもうついていく気はないようだった。茄子は高級時計店の前で止まると近くに落ちていたヘルメットを持って入店し、笑顔の凍りついた店員を押し退けて事務所の中に押し入った。室内の人たちが騒然とするなかでも平然としていたが、部屋の奥にある扉を見つけるや否や、茄子は急ブレーキのような声で絶叫した。

 周囲の制止をヘルメットによる殴打で躱しながら、茄子は扉に手を掛けて、力任せに引き破った。するとそこには両足を縛られた人たちが逆さまにぶら下げられていて、その周りを白シャツの警官隊が取り囲んでいた。何なんだお前らは。刑事の質問はおそらく茄子だけではなく、その後ろから一緒に侵入していた私たちにも向けられていたのだろう。茄子は一切構わずに、見る間に警官隊を一掃した。

 茄子は吊るされている人たちを見回した。そしてその中から顔がぼろぼろになったスニーカーブルースと全身タイツのユーゲントを見つけると、その拘束を解き、頬をやさしく叩いた。するとみるみるうちにかれらの血色が戻り、なんとそれが依頼者の両親だったのである。

 悄然として独り自宅に残っていた依頼者は、茄子が連れてきた二人を見て撃ち抜かれたような表情になった。その後は家族三人で大泣きしながら再会を喜んでいた。茄子はそれを見届けてからそっと家を出て、また元の建物へ戻って椅子に座り、動かなくなった。

 一件落着と思った? だけどほら、茄子のへたが黄色くなってきたのが見えるだろう。あれが完全に変色したとき、今度はこいつはさっき助けた二人を家から連れ去って行くんだ。りりいは与えて奪うんだから。きっとどこかまた苦しい場所へ放り込む。そうしたらりりいはまた助けに来るよ。逃がしては捕まえて、また逃がしては捕まえる。残り半生もうこれでいっぱいだよ。全くもうあれこそ世紀のお転婆茄子、この世が生んだ不思議な野菜、全知全能の特筆名探偵、りりいさんであることだよ。

 興奮する噂好きの横で私は外を眺めていた。陽の沈みかけた街は紫色に染まっていた。


散文(批評随筆小説等) りりい捕物帖 Copyright 阪井マチ 2021-10-30 00:20:37
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